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ストレートは148km…中村紀洋が語る“俺のエース時代”「投球と打撃とは別物じゃない、一緒なんですよ」《渋谷高校→近鉄バファローズ》

2026/08/07
打つ才能だけでなく、投げる方にも光るものはあった。しかし、バッターとして生きることを選んだ男たち。公立高校をチーム初の甲子園出場に導き、最速148kmを誇った投手時代を本人が回想した。(原題:[強打者が語る俺のエース時代(1)]中村紀洋「投球も打撃も動きは一緒」)

 プロで“いてまえ打線の主砲ノリ”として鳴らした中村紀洋は、大阪府立渋谷高校ではエースで4番だった。が、本人にはエースという意識はまるでなかったという。

「当時のチームは他に投げる選手がいなかった。僕が投げなきゃしょうがないような状況だったんですよ。僕なら試合を作れるからと任されました。それがエースやって言われればそうかもしれませんけど」

 真っ直ぐの最高速度は148km。それにカーブと3種類のスライダーを織り交ぜて打ち取った。が、サードが本職だった中村は、投手の球ではない、と強調する。

「同じ148kmでも投手と野手の投げる球はまったく別物です。野手の球は見やすい。常に送球を受ける野手が捕りやすいように投げてますから。それが“野手投げ”。逆に投手の球は見にくい。打者に打たれちゃいけませんからね。高校時代、近大附属に里田(太一)さんてすごい投手がいて、気がついたら球がここ(手元)に来てる。僕なんかの投げる球とは全然違ってた」

 それでも、3年になれば自分がエースに指名される自覚はあった。だから2年までは、なるべく投手として登板しないようにしたいと長谷至康監督に伝えている。実は、右肘と腰に古傷があったのだ。

「小学生時代に右肘が曲がって、伸びなくなってたんです。野手も投手もやって投げ過ぎてたから。小5の時、親父の知り合いの方に紹介されて、盲目の鍼師の元に通いました。週に1回、半年くらい。鍼を打っては肘を伸ばすんですよ。鍼師の方が全身で、足まで使って、僕の肘を伸ばす。これが痛い、ものすごく痛い。いつも、うわあって悲鳴をあげたくらい。でも、おかげで肘が伸びるようになった。その鍼師の方、僕はいまだに名前も知らないんですが」

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photograph by Hideki Sugiyama / NIKKAN SPORTS

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