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【甲子園】横浜高校の“歴代最強エース”は誰なのか…松坂大輔と渡辺元智が語る“背番号1”の条件「人間的には丹波しかない」

2026/08/05
投球中の丹波慎也を捉えた写真。渡辺は今も、この一枚を肌身離さず持ち続けている
春夏連覇を遂げ、甲子園の歴史に比類なき足跡を残した怪物。なぜあの年、あのチームから無敗の絶対的右腕が生まれたのか。“幻のエース”から繋がる継承の物語を、恩師の証言で辿る。(原題:[最強エース誕生秘話]松坂大輔「横浜高校“背番号1”の条件」)

 2015年までの47年間、横浜高校の監督を務め、春夏あわせて27度の甲子園出場を果たし、春3度、夏2度の全国制覇を成し遂げた――渡辺元智はスマホを入れたケースから、一枚の写真を取り出した。名刺の半分ほどの小さな写真には横浜高校のユニフォームを着た、胸を張って投げる手足の長い右ピッチャーが写っている。

「オーソドックスで綺麗なフォームをしてるでしょ。コントロールがいいし、球が伸びる。身体が大きくて、でもすごくしなやかで、クセがあるピッチャーじゃないんです。僕は常にこれを持ってるんですよ。これまでにも取材がありましたけど、これで3度目かな。この写真を見せたのは……」

 丹波慎也――横浜の幻のエースである。横浜高校のグラウンド、バックネット脇に掲げられたレリーフには、『信念』の文字とともにひときわ高いリリースポイントからボールを投げ下ろさんとする右ピッチャーが描かれている。それが丹波だ。なぜ彼が“幻の”エースなのか……それは丹波が高2の8月17日、17歳で急逝したからだ。

 '95年、夏の神奈川大会の準決勝で敗れた横浜は秋に向けて新チームをスタートさせていた。エースになるのは丹波――彼が亡くなる前日、横浜は千葉で中央学院と練習試合を行っていた。丹波は先発して、完封。直近4試合の練習試合で3試合が完封、うち2試合でノーヒットノーラン。3本のホームランまで打っている。誰もが認める横浜のエースで4番。そんな丹波が亡くなったのだ。先発して完封して、バスで千葉から横浜へ戻って、チームメイトとファミレスではしゃいで、午後10時過ぎ、「じゃあ、また明日」と言って、丹波は自宅へ戻った。そして午前1時半頃、急性心不全を起こしてしまう。予測も予防もできるはずのない突然死だ。渡辺がこう続けた。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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