松坂大輔と同じ1980年生まれの村田修一は、いわゆる「松坂世代」を代表するスラッガーだ。プロで2年連続2度の本塁打王を獲得した村田も、小中高時代まではエースを兼任。抜群のコントロールで相手を打ち取るクレバーな投手だった。
「小中はエースで4番、高校では3番でした。持ち球は真っ直ぐとスライダー、適当に投げるチェンジアップ。逃げ回って四球を出すのが嫌いなんで、相手が狙ってないだろう球をどんどんゾーン内に投げ込むんです。変化球でカウントを稼いで最後に真っ直ぐを使ったり、内で勝負したい時は最初から真っ直ぐで入ったり。そういう省エネスタイルが持ち味でしたね」
当時は福岡県でも九州全域でも、自分が一番だと思いながらプレーしていた。
「そりゃもう、県内では僕がトップの投手だと思ってました。九州大会に出たら新垣渚(沖縄水産)がいて、真っ直ぐは僕より速かったけど、コントロールだったら絶対こっちが上。杉内俊哉(鹿児島実業)とも練習試合で対戦して、得意なボールをちゃんと打ち返してやった。だから投打を合わせれば絶対に俺が上だと思ってたんです」
「前日にモニターで横浜の試合を見た時…」
その鼻っ柱をたたき折られたのが、'98年春のセンバツで投げ合った横浜のエース、「平成の怪物」と呼ばれた松坂である。
「前日にモニターで横浜の試合を見た時、何だ、こいつはと思いました。すごい球を投げていて、プロみたいだった。しかも試合後には、ウチと対戦する3回戦で『2桁三振取って勝ちまーす』なんて言ってる。その時は、この野郎、絶対に打ってやるって。でも、実際に打席で大輔の球を見たら、速いしコントロールはいいし、スライダーは大きく曲がる。コールド負けみたいな点差をつけられたら福岡へ帰って恥をかく。たとえ勝てなくてもコテンパンにされないように、試合の途中からはそう思って必死に食い下がりました」
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