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打順“1番”の変革者…高橋由伸と正木智也が語る戸惑いとホームランの快感「その狭間で悩みました」「4番を打ちたいと思っていた」《Wインタビュー》

2026/10/24
正木智也 / 高橋由伸
「1番打者=俊足」というイメージを一振りで壊し、球場のボルテージを一気に高めるホームランがある。NPB記録を持つ先輩と、その記録を追いかけた後輩が、トップバッターだけに与えられた打席への備えを明かす。(原題:[先頭打者弾の真髄を語る]高橋由伸&正木智也「試合を動かす一撃の快感」)

 2007年3月30日、横浜。午後6時15分に球審・森健次郎の右手が上がる。セ・リーグ開幕戦のプレーボールが告げられた。マウンドに三浦大輔。打席には巨人のトップバッター高橋由伸が構えていた。

「まさか1番を打つなんて想像もしていなかった。オープン戦の途中、原(辰徳)監督に呼ばれて『今年は1番で行くから』と。ほんの数分、いや数十秒だったかな」

 現在51歳となった高橋が当時のままの、柔和で飾らぬ笑みをこぼす。ウルフの異名をとった天才打者はルーキーからレギュラーを張り、巨人の中軸を担ってきた。だが、攻守の全力プレーの代償から故障に苦しむように。前年までの2年間は出場100試合を割っていた。チームは球団初の2年連続Bクラスからの巻き返しを図り、高橋自身は節目のプロ10年目での再起を誓って臨むシーズンだった。

「当時は小笠原(道大)さんがFA、谷(佳知)さんがトレードで加入。(阿部)慎之助がいて、李承燁もいて。中軸を打てる選手はいた。だけど、1番打者がいなかった。それで消去法で僕だったのかな」

2007年の開幕プレーボールホームラン

 3月15日のヤクルト戦を境にオーダー表の一番上に名前が載るようになった。やはり最初は戸惑った。ただ、原監督からは「スタイルはそのまま変えなくていいから」と伝えられていたという。

「僕は積極的に打ちに行くタイプでした。1番打者が初球で凡退すると『何やってんだ』となる。チームメイトに情報も伝えないといけない。その狭間で悩みました。だから、監督の言葉は大きかったです。あともう一つ、『チームにとって最初の打席に立つわけなので後ろの打者に勇気を与える打席にしてくれ』とも言われました」

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photograph by Wataru Sato

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