'91年春、桐蔭学園の野球部監督だった土屋恵三郎は、打球音の違いに新1年生の格の違いを見いだしたという。
快音を轟かせていたのは高橋由伸だ。ほどなく打線の主軸に抜擢された。
激戦区の神奈川を勝ち抜き、1年夏と2年夏の2度、甲子園に出場したが、いずれもサヨナラ負けを喫した。1年時は3回戦の鹿児島実業戦で最終回のチャンスに凡退。2年時は沖縄尚学と開幕試合を戦い、延長12回に力尽きた。1点リードの8回から救援のマウンドに立っていた高橋は敗戦投手になった。

悔しさの強い負け方のはずだが、それに反して高橋の記憶は彩りに欠けている。
「1年生のとき、ぼくのひと振りで勝てなかった、これで3年生は終わってしまうんだと重く感じたのは覚えてますね。でも、それまで甲子園なんてとんでもなく遠くにあるものだと思っていたのに、先輩にくっついて必死にやっていたら、気づいたら甲子園にいて。あっという間に終わってしまって、わからずじまいというか。次の年もそう。変な嫌味に聞こえるかもしれないけど、なんとなく行ってしまった」
高校での集団生活は「まず環境がカルチャーショック」
光景や感情の断片は脳裏に残っているが、「野球人生の転換点となった敗戦を」との問いへの回答にぴったり嵌りそうなものは見当たらない。
むしろ明瞭に思い返せるのは、寮生活を含めた日常そのものだ。
千葉に生まれた高橋は、2人の兄とは歳が離れていたこともあり、両親から可愛がられた。のびのびと、不自由さを感じることなく幼少の日々を送った。それゆえ、高校入学と同時に始まった集団生活は「まず環境がカルチャーショックだった」。
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