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「ピタッとハマっていました」張本勲が巨人で過ごした“4年間”と後輩に残した打撃理論「普通の人にはできないですよ」《高田繁&柳田真宏の追悼証言》
2026/10/23
9月9日、球界のレジェンドがこの世を去った。504本塁打を含む3085本の安打を積み上げた天才打者の技術とは、いかなるものだったのか。後輩2人の証言で、安打製造機の打撃論を紐解く。(原題:[あっぱれな野球人生]張本勲「神の域に達したバッティング」)
打球は三遊間を抜けていく。すると、打者は一塁へ向かいながら、ふいにスキップした。顔には満面の笑みが浮かんでいた。
1967年、福岡・平和台球場。西鉄の新人だった柳田俊郎(現・真宏)は、その光景を鮮明に覚えている。打者は東映の張本勲。すでに球界を代表する左打者である。
「三遊間のど真ん中にヒットを打ったんですよ。すげぇなと思っていたら、スキップして、ニコッと笑って走っているんです」
柳田は驚いた。ライトを守っていた自分には、スキップしている理由がわからない。公式戦で、しかも走塁の途中で、なぜそんな振る舞いができるのか。ヒットが嬉しいのは理解できるが、あまりに無邪気で楽し気だった。プロ1年目の若者にとって、張本は話しかけることさえためらわれる雲の上の存在である。疑問は疑問のまま終わるはずだった。しかし、後に柳田は巨人のユニフォームを着ることになり、ずっと遠くから見上げていた張本と、同じチームで野球をする日がやってくる――。
'75年、巨人は球団史上初の最下位に沈んだ。長嶋茂雄が現役を退き、監督に就任した最初のシーズンである。9連覇を築いた常勝軍団は、長嶋という中心を失い、王貞治の打棒にもかつてのような精彩はなかった。このとき、再建の切り札として白羽の矢が立ったのが張本である。日本ハムから移籍し、'76年に巨人の一員となったのは35歳のことだった。現在ならまだ第一線で活躍する選手も多い年齢だが、当時は引退が視野に入るベテランである。この移籍を、柳田は複雑な思いで迎えたはずだ。
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photograph by SANKEI SHIMBUN
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