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「清水さんや福澤さんが求めるトスを…」深津英臣が技術を磨いた“しんどい”日々と若手セッターへの視線「誰が俺を脅かしてくるんだ?って」【インタビュー特別版】
36歳はいかにして日本代表正セッターの座を手にしたのか。9月4日はロス五輪の出場権を賭けたアジア選手権の初戦。併せてお楽しみください。
2026年8月25日、男子バレー日本代表とブラジルの親善試合が行われた。
バレー王国と相まみえるにあたり、セッターで起用されたのは36歳の深津英臣だった。レフトへの伸びやかなトスと、何が何でも「つなぐ」と身を投げ出してボールを拾う姿勢。初めて日本代表に選ばれた20代の頃から変わらぬ姿ではあるが、当時よりも心も技術もずっと進化した。
「やっと自分の理想とするトスの上げ方とか、技術的な部分が目指しているところに近くなってきたのかな。昔は技術がないのに気持ちだけでバレーをやっていたんです。それももちろん大事なことではあるんですけど、気持ちだけでは勝てないことを何度も突き付けられて、技術を磨かなきゃダメだと思った。だから必死で練習しましたよ。それが形になっていると思うし技術が上がったから気持ちもブレなくなった。今はバレーボールが楽しいんです。昔はできないことがあると悩んで、自信をなくしていたんですけど、今はうまくできないことも楽しめるようになってきました」

深津三兄弟で最も早く日本代表に。
愛知・星城高校では3年時にIHと国体で全国制覇を成し遂げ、2人の兄と同じ東海大学に進学した。長兄の旭弘は39歳になった今季も東京グレートベアーズでセッターとしてプレーし、次兄の貴之は日本代表でコーチを務める傍ら英臣と同じウルフドッグス名古屋のコーチとしてともに戦うなどバレーボール好きには馴染みの深い三兄弟だ。
深津家の中で最も早く日本代表で世界への挑戦権をつかんだのが、末っ子の英臣だった。
パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)に入団した2013年のルーキーイヤーから正セッターに抜擢され、リーグ優勝に貢献。最優秀新人賞を受賞し、日本代表にも選出された。当時のパナソニックには清水邦広や福澤達哉など、日本代表の主軸を担うアタッカー陣が揃っていた。若きセッターもさぞ助けられたのだろうと思いきや、「その逆」と深津が笑いながら言う。
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