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恩師は戦慄「ビーン! ときた」…内山壮真が語る星稜高校での“人生の分岐点”「進路はかなり悩みました」【スワローズの4番候補】

2026/08/29
センスあふれる未来の4番候補はプロの荒波に揉まれ、定位置を探してもがいていた。金沢から奮闘を見守る恩師が明かした悔恨と希望に、教え子は何を思うのか。(原題:[逸材の紆余曲折]内山壮真「恩師と歩んだ、人生の分岐点」)

 内山壮真は昨シーズン、プロ5年目で初めて規定打席に到達した。星稜高校で監督だった林和成は教え子がレギュラーへと駆け上がる様に顔がほころぶ反面、わずかに心のざわつきがあるのも自覚していた。

 パンチ力を生かしたバッティングが評価され、キャッチャーから外野手となっていた内山が、今シーズンから内野手へとコンバートする――。昨シーズンのオフに本人からそう報告された林は、自らが抱くいたたまれなさをさらけ出した。

「ごめんなぁ。お前やっぱり野手のほうがよかったよな。俺、見る目なかった……」

 いやいや! 内山が即座に否定する。

「そんなことないですよ。キャッチャーとしてもやりたい気持ちもありますから」

 気遣いではない。内山は改めて、可能性を広げてくれた恩師に頭を下げる。

「キャッチャーという選択肢を与えてもらえたことが、僕の野球人生の分岐点でした。あの経験があったからこそプロになれましたし、今の自分を作っていると思うので」

 内山が守備の万能性を養えたのは、卓越したバッティングがあったからだった。

SANKEI SHIMBUN
SANKEI SHIMBUN

内山に提示された“約束手形”とは?

 原点は“羽根打ち”だという。ヤクルトの山田哲人が幼少期に行っていた、バドミントンのシャトルをバットで打ち返す練習に励んだ内山は、小学6年になると本気でプロ野球選手を目指すようになる。

 故郷の富山から石川へ越境したのもそのためだ。軟式の強豪である星稜中から、多くのプロ野球選手を輩出する星稜高へエスカレーター式に上がれるからだった。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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