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「退屈なサッカーを見に来る人間がいるか?」ペトロヴィッチは広島、浦和、札幌で“超攻撃的サッカー”をいかに貫き、“ミシャ式”フォーメーションを誕生させたのか

2025/11/20
観る者を魅了する超攻撃的サッカーを標榜し、手堅く勝つことよりも、美しく負けることを潔しとした。勝ち切れないことへの批判も受けながら、指揮した700を超える試合を通して日本に残したものとは。(原題:[外国人監督J1最多勝利]ミハイロ・ペトロヴィッチ「“ミシャ式”が根付いた19年」)

 1993年のJリーグ創設以来、数多の監督がJクラブを率いてきたが、ミハイロ(ミシャ)・ペトロヴィッチほど振り切った考え方を持つ指導者はいない。

「サッカーは誰のためにあるのか?」

 ミシャが常々、口にしていた台詞だ。

 守備について質問すれば、決まってこんな言葉が返ってきた。

「わざわざ退屈なサッカーを見に来る人間がいると思うか?」

 目指すのは常にゴールで、トレーニングも攻撃のメニューが大半を占める。派手な打ち合いの末に敗れると、「1-0で勝つよりも4-5で負けるほうがいい」と言い切った。

 見る者を魅了してこそサッカーはサッカーたり得る。それが、東欧のブラジルと呼ばれた旧ユーゴスラビアに生まれ、人生をサッカーに捧げてきた男の信念だった。

 結果を軽んじていると誤解され、たびたび批判も受けたが、本人はどこ吹く風。2006年シーズンの途中に監督に就任し、6シーズンを過ごしたサンフレッチェ広島時代も、クラブ史上最長の6年間指揮を執った浦和レッズ時代も、昨年まで7年間監督を務めた北海道コンサドーレ札幌でも、一度として考えを改めることはなかった。

 日本で過ごした19シーズンの中で手にしたタイトルは浦和時代のJリーグカップだけだ。同じ'16年には2シーズン制が採用されたJ1で年間最多勝ち点を獲得しながら、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れ、2位に終わっている。リーグ優勝には、ついぞ手が届かなかった。

 それでも、これほど長期間にわたって日本で指揮を執ったのは、攻撃的で魅力的なサッカーを提供し続けたからだろう。

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photograph by Getty Images

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