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「浅野ステイ!」「きみはヨーロッパ人のようだ」浅野哲也、森山泰行が振り返る“Jのお荷物”グランパスを変革した「ベンゲル教室」の指導法「負ける気がしなかったです」

2025/11/20
「Jリーグのお荷物」とまで呼ばれたグランパスを、たった1年で生まれ変わらせたフランス人指揮官。彼は何を目指し、そして日本の若者に何を残したのか。現在は指導者としての道を歩む“卒業生”が振り返る。(原題:[教え子が語る]アーセン・ベンゲル「理想と革新の案内役」)

 Jリーグ誕生から3年目を迎えた1995年の春、名古屋グランパスの紅白戦でふたりの主力選手が口論を始めた。

「おい、ちょっとはちゃんとやれよ」

「なんだよ、やってるじゃねえか」

 ボランチ浅野哲也の叱責に、ストライカーの森山泰行が口ごたえする。不穏な空気が流れるピッチに、やがて雷が落ちた。

「おまえら、ここからいますぐ出て行け!」

 一喝したのはアーセン・ベンゲル。当時まだ40代なかばの青年指揮官である。

 ふたりは遠い昔の出来事を憶えていて、森山が苦笑交じりに振り返る。

「フランスリーグを知るピクシー(ドラガン・ストイコビッチの愛称)はいい監督だと言うんですが、ぼくらは正直わからない。それまでの監督に対する不信感や勝てないストレスから、悪態をついていたんです」

 森山とは違って、希望を見出していたチームメイトもいる。浅野がそのひとりだ。

「一人ひとりで戦っていたらヴェルディ(川崎)には絶対に勝てない、ああいうチームには組織力で勝つしかないんだ。ベンゲルはそう明言していて、ぼくもその通りだと思っていました。実際にトレーニングをくり返す中で、これを続けたら必ず結果が出る、そう確信するようになったんです」

「俺は選手を見る目に自信があるんだよ」

 その後チームはまとまり、快進撃が始まる。最終ラインを大胆に押し上げてのハイプレスに、攻守の素早い切り替えから次々と前線に選手が飛び出すスタイルは「モダンサッカー」と評され、話題をさらった。過去2シーズンの迷走によって「Jリーグのお荷物」と呼ばれたグランパスは優勝争いに参戦し、'96年元日に天皇杯を掲げる。

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photograph by Takao Yamada

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