年6場所制が定着した1958年以降、まだ横綱として初土俵を踏んでいない大の里を除くと、30人の横綱が生まれた。しかし、その中で昇進場所で優勝できたのは大鵬、隆の里、貴乃花、稀勢の里、照ノ富士のわずか5人。「勝って当然」という番付最高位の重圧、昇進後の多忙なスケジュール、あるいは綱取りまでの激闘の代償もあるだろう。ルーキー横綱にとって、昇進場所は最初にして最大の鬼門とされる。
「あの時はほんとに言葉では言い表わせないくらいつらかった。何をやっても体がだるい感じでね。やっぱり横綱っていうわけで、本場所になるとなんかこう胸がキュッと締めつけられるような感じだったですね」
本誌79号(1983年)でのインタビューで、大横綱・北の湖は9年前の横綱デビュー場所をこのように振り返っている。
初日に前頭筆頭の金剛に敗れるなど、11勝4敗。常人には計り知れない何かが、史上最年少の21歳2カ月で最高位に上り詰めた怪童を飲み込んだ。

千代の富士も「鬼門」の前に散った
あの千代の富士も鬼門の前に散った。関脇で迎えた'81年一月場所の初優勝から一気に横綱に駆け上る快進撃は、角界の枠を越えたウルフフィーバーをもたらした。しかし、もとより故障がちであった新横綱のウルフは夏巡業で左足首を負傷。完治しないまま臨んだ九月場所2日目、大の苦手としていた当時小結、隆の里の上手投げに敗れた際に再び左足首が悲鳴をあげ、途中休場を余儀なくされた。新横綱の休場は'54年三月場所を全休した吉葉山以来27年ぶり。大横綱の歩みは屈辱からのスタートだった。
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