パイオニアのメジャーリーグ挑戦から今年で30年。三振の山を築いた“伝家の宝刀”はプロ入り前の社会人時代にルーツがあった。当時の関係者らが大投手が誕生するまでの日々を回想する。(原題:[回転するフォークが持つ意味]野茂英雄「魔球が生まれるまでの3年間」)
米国カリフォルニア州の南部に、ランチョクカモンガという人口17万人程度のまちがある。ランチョとはスペイン語で「農場」の意味。ワイン農場がまちの起源だと現地の人から聞いた。
ロサンゼルス市内から東へ、車で1時間足らず。ここにはクエークスという名のパドレス傘下(現在はドジャース傘下)の1Aチームがあった。
日本人メジャーリーガーの実質的なパイオニアである野茂英雄が、ドジャースの1Aベーカーズフィールド・ブレイズの先発としてクエークスの球場のマウンドに立ったのは、今からちょうど30年前の1995年4月27日(現地時間)のことだ。
メジャーリーグ(MLB)の'95年シーズンは、前年8月に始まった選手会のストライキの影響で、開幕が大幅に遅れた。近鉄を任意引退し、MLB入りを目指す野茂は1月に渡米し、マイナー契約を結んだ。
オープン戦で好投を続け、MLB行きの切符をほぼ手中に収めていた野茂にとって、このクエークス戦は、いわば昇格への最終テスト。結果は5回3分の1を投げて2失点。その3日後にメジャー契約をかわし、5月2日のキャンドルスティックパークでのMLBデビューにつなげるのである。
クエークス戦後に話を聞くと、野茂はまず球場の雰囲気の素晴らしさについて口にした。
「地元の選手の名前が呼びあげられると、めっちゃ盛り上がっていました。社会人時代、日本代表としてイタリアやプエルトリコに遠征した時のことを思い出しました」
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photograph by Kazuaki Nishiyama