その後、東京五輪では2回戦敗退、左膝前十字じん帯負傷、23年世界選手権は3回戦敗退と苦難の日々が続いた。その度に進退を考えるほど深く悩み、弱音も吐いた。ただ、それでも自暴自棄にはならず、這い上がってきた。そして心の葛藤を隠そうとはしなかった。まっすぐすぎるほどまっすぐな心根に惹かれ、もっと彼女を知りたいと取材を続けてきた。
だからこそ、20年以上に及ぶ現役生活を全身全霊で走り続けた彼女を、3度の五輪にかけた彼女の柔道人生を、描きたいと思った。《Numberノンフィクション全3回の3回目/第1回(無料公開中)から読む》
4年に1度開催される五輪に出場できるのはほんの一握りの選手だ。しかもそこにピークを合わせ、自分の力を発揮するのはさらに困難なことだといえる。選手たちはその"一瞬"のために、4年間、すべての力をふり注ぐ。
日本はメダルをいくつ取るのか、金メダルはどれぐらいになりそうなのか。
血の滲むような努力で掴んだ金もあれば、ほんのわずかメダルを逃すこともある。4年という歳月をすべて競技に捧げても、必ずしも望むような結果になるとは限らない。どんなに強い意志で臨んでも必ずメダルにつながるとは限らないのが厳しい勝負の世界だ。
日本のお家芸といわれる柔道において、メダルは取って当たり前という独特な重圧を背負う。髙市未来も周囲の期待を背負い、プレッシャーを抱え、夢の大舞台と向き合ってきた。ただ、リオ、東京、パリと3度五輪に挑んだが、いずれも自身も周囲も期待するような結果は残すことができなかった。
「メンタルは弱い」と謙遜するが…
それでも五輪に出場することは並大抵の努力では成し遂げられるものではない。闘いに挑むメンタルの維持は想像を絶するほど困難なものだ。その間、常にプレッシャーにさらされる。
そんななか髙市は紆余曲折ありながらも、誰もが目指すその大舞台を3度、自らの手でつかみ取った。そして五輪で屈辱を味わい、敗戦に打ちひしがれながらも、その道を歩むことを自ら選び、いばらの道を挑んだ。現実から目を反らしたいことがあっても、決して逃げなかった。
「メンタルは弱い」と謙遜するが、弱い自分と真摯に向き合ってきた。そんな姿に強さと柔道へのひたむきな愛情を感じた。だからこそ彼女から目が離せなかった。
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