高市未来が昨年12月にパリ五輪代表内定をつかむと、柔道界からは願いを超えた祈りのような声が相次いだ。「本当に勝たせてあげたい」と話す指導者は幾人にも及び、「五輪で闘う姿を思い描くだけで涙が出そうになる」と漏らす全日本柔道連盟の職員もいた。誠実で優しく、奥ゆかしい。そしてガラスのような透明感にもろさもにじむ。高市の豊かな人間性は周囲を惹きつけた。
「五輪の勝ち方、闘い方が分からなかったなあと」。
3度目の五輪が終わった。個人戦では追い求めた頂点はおろか、3大会ともメダルに届かなかった。パリから帰国して1カ月足らずの8月下旬、高市は胸の奥底にしまっていた封を解いた。取材が始まって間もなくという段階で「ここまで感情を抑えてきて、出したら自分が崩れてしまいそうな気がして……。それにおびえていた。だから五輪を振り返られなかったし、踏み込めなかった。私、すごく臆病なんですよ……」。澄んだ瞳から涙が一気にあふれ、滔々と語っていた口調は嗚咽に変わった。2回戦敗退直後、報道陣の取材を受けるミックスゾーンで「何やってんだよという気持ち」と声を振り絞った時を除けば、初めて泣いた。張り詰めていたものが、一気にはじけた。
五輪の過去2大会に比べ、心身共に状態は最も良かったという。初戦を堅実な寝技で制して進んだ2回戦。クロアチアの新鋭、クリシュトを攻めあぐね、嫌なムードが漂う。試合時間の4分が過ぎ、延長の3分22秒だった。左大内刈りが外れ、すぐさま相手の低い背負い投げに傾いて技ありを奪われた。中盤で抑え込みながら逃した場面は悔やんでも悔やみ切れない。あっけなく幕を閉じた勝負について今、何を思うのか。
全ての写真を見る -1枚-「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています