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その後、東京五輪では2回戦敗退、左膝前十字じん帯負傷、23年世界選手権は3回戦敗退と苦難の日々が続いた。その度に進退を考えるほど深く悩み、弱音も吐いた。ただ、それでも自暴自棄にはならず、這い上がってきた。そして心の葛藤を隠そうとはしなかった。まっすぐすぎるほどまっすぐな心根に惹かれ、もっと彼女を知りたいと取材を続けてきた。
だからこそ、20年以上に及ぶ現役生活を全身全霊で走り続けた彼女を、3度の五輪にかけた彼女の柔道人生を、描きたいと思った。《Numberノンフィクション全3回の1回目/つづきを読む》
東京・板橋区にあるコマツの柔道場に到着しインターフォンを鳴らすと、練習を終えたばかりの彼女が笑顔で迎えてくれ、取材の部屋へと案内してくれた。
「今日はよろしくお願いします」
髪を一つに束ねているせいか、少し雰囲気が変わったようにも見える。
「もう引退したのにありがとうございます」
丁寧な対応は、現役時代も今もまったく変わらない。
「現役を終えていいのかという気持ちもありました」
現役を退いて早くも2カ月以上が経った。
10月30日、所属するコマツから現役引退することが発表された。なんとなく、そんな予感もしていたが、いざその現実を目の当たりすると、やはりどこか寂しさも感じた。
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ただ、当の本人は肩の荷が下りたからだろうか、現役の頃よりも表情が柔らかに見える。
「コーチになって選手を指導する立場になりましたけど、練習を見ていると、"よくやってるな"とか"すごいな"と感じたりしますし、何かのタイミングで現役中の自分の映像が流れたりもして、それを見ると、"私もついこの間まで選手だったのにな"って、少し感慨深い気持ちにもなりますね」
まだ続けられたのでは? 後ろ髪をひかれるような思いは? そう尋ねると、「ないですね」と微笑みながらも、きっぱりと言い切った。その潔さと笑顔が印象的だった。
ただ、引退を決断するまでは「まだやりたいかも」と思い悩んだ時期もあったと明かす。
「体力的にはまだ練習もトレーニングをすることもできました。ここで終わっていいのかという気持ちもありましたし、ただ、"もう無理だよ"という自分もいて。周りにはロサンゼルス五輪を目指すという選手もいましたが、私はもしその場だけの言葉だったとしても、嘘でも『次を目指します』とは言えませんでした。言葉に出せないということは、もう自分の気持ちが『頑張る』という方向にはならないんだろうな、これまでのように強い思いを持って世界に挑むことはもうできないなと悟ったというか。中途半端な気持ちで柔道を続けられないのは、誰よりも一番自分自身が分かっていたので」
覚悟がないと前に進めない。髙市らしい言葉だ。
パリ五輪ではまさかの2回戦敗退
ただ、3度目の出場となったパリ五輪前は、その大舞台を集大成とは考えていなかった。
「きっと周りはこの大会で辞めるんだろうなと思っていたでしょうけれど、実は私自身は何も考えていなかったんですよ。"これが最後だ"なという気持ちではなかったですね。五輪が終わったときの気持ちを大切にしようという程度で」
万全の状態で臨んだパリ五輪ではまさかの2回戦敗退。9月いっぱい現役を続けるかどうか、自問自答を繰り返した。夫の賢悟さん(現日本女子代表コーチ)やトレーナーらに相談し、「頑張らなくてもいいよ」「やりたいんだったらやっていいんじゃないの?」と、声を掛けられた。
ただ、髙市はこれまではなかった気持ちの微妙な変化を察知していた。
「その間も練習はしていたんですけど、まったく人を投げたいとも思わなかったですし、投げられても悔しくなかったんですよね。以前の私であれば、技がかからなければ悔しがりましたし、歯がゆくて涙が出るくらいだったのに……。対峙する相手を倒したいという気持ちもなくなっていて。そう考えたときに、今が現役から退くときなのかなって」
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夫の賢悟さんはこれまでも高市が涙に明け暮れたときは、あえて言葉はかけず、ただ彼女に寄り添ってきた。
「彼は絶対に否定しないんですよ。怪我をして現役を続けるかどうか悩んだときも、『もう十分に頑張ってるよ』とか『頑張りすぎなんだから少し休んだら?』と言葉をかけてくれるくらいで。それで心の余裕ができて、自分を肯定できるようになったというか。彼の方が私よりも私のことを理解してくれているかもしれません」
夫は「黙ってそばで支え続けてくれました」
引退を決めたときも「なんて言っていたかな? "それでいいと思うよ"みたいな感じでしたね。"よくやったよ"みたいな。シンプルな言葉でした。それ以上は特に言葉をかけてくれないというか(笑)」
当時を振り返りながら高市はそう笑って話すが、22年に結婚した夫には、これまで何度も助けられてきたと感謝する。
「私はすごく頑固だし、言うことも聞かないので大変だったと思います。でも、それを否定せずに、黙ってそばで支え続けてくれました。どんなときも、共に歩んでもらえたことは私にとって大きな力となっていましたし、それがパワーの源となっていましたね」
そんな彼女を支え続けた賢悟さんも、台湾代表コーチとして帯同していたパリ五輪で髙市が2回戦で敗れた後、3度大舞台にトライし続けた妻に最大限の賛辞を送っていた。
「彼女にとってオリンピックはつらい思い出というか、そういったイメージのあるものだったと思います。その間には大きな怪我もありましたし、代表争いもあって、苦しさを乗り越えての3大会連続出場でした。それは本当に尊敬すべきところだし、なによりも、彼女の柔道と真摯に向き合う姿勢、妥協なく取り組む姿には、本当に頭が下がります」
メダルを手にした仲間たちを横目に…
表彰台に上がる実力を持ちながらも、五輪のメダルからは縁が遠い柔道人生だった。
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22歳で初めて出場した16年のリオ五輪では3位決定戦で敗れ、5位に終わった。
メダルを手にした仲間たちを横目に「帰りは同じ飛行機に乗りたくなかった。一緒にいることが恥ずかしくて」と自身の不甲斐なさを嘆いた。
4年後は必ずメダルを――。そう誓って研鑽を積んだリオから東京までの5年間には世界選手権で2度銀メダルを獲得。東京五輪でも十分にメダル獲得の可能性はあったが、ポーランドの選手に一瞬の隙を奪われ、まさかの2回戦敗退。畳を下りると、彼女は床にうずくまったまま号泣した。悔やむ以前に、何もしないまま試合が終わってしまった。頭が真っ白になり、何も考えることができなかった。
しかも日本女子柔道陣は、この大会で髙市の階級以外すべてでメダルを獲得。髙市は、日本代表と言うことさえもはばかられるほど「惨めだったし、恥ずかしかった」と、以前、聞いたことがあった。
現役を続けるのか、それとも退くのか。そして、再びオリンピックを目指すのか――。人生最大とも言える試行錯誤の日々が続いた。当時の葛藤を思い出したのか、髙市の表情は何かを悟ったかのように見えた。
《#2 「彼女がいるから、もっと強くなりたいって」柔道家・高市未来が明かすパリ五輪の涙の理由と“幸せだった”現役最後の試合に続く》