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「勝った瞬間の記憶って、みんなの笑顔なんです」松坂大輔がドラゴンズで挙げた1勝の価値と「お父さんみたい」森繁和監督~連載「怪物秘録」第51回~

2024/09/11
投げられる感触を得て移籍したドラゴンズで松坂はこれまでの鬱憤を晴らすかの如く快投を続ける。結果、球宴出場、カムバック賞受賞など復活を印象付けた。

 甲子園が生んだ全国区のスーパースターの入団にドラゴンズファンは色めき立った。北谷でのキャンプ、松坂大輔がサイン会を開けば長蛇の列、背番号99の松坂グッズは飛ぶように売れた。地元のメディアも今日はブルペンに入った、入らなかったと右往左往。ホークス時代のネガティブな空気はどこからも感じ取れなかった。

◆◆◆

 僕は選手としての死に場所を探すためにドラゴンズに来たつもりはなかったし、まだまだ野球を続けたいと思っていました。肩は治って投げられる状態でしたし、投げられれば勝てる自信もありました。だからドラゴンズファンの歓迎ぶりは僕にものすごく力を与えてくれたと思います。愛知県には野球が強いイメージがありましたし、野球が好きな人は多いんだろうなと……中京大中京や愛工大名電、東邦……あれっ、高校野球の印象が強かったのかな(笑)。

 背番号は99を選びました。最初、チームから「18番は埋まっているけど20番は空いている」と言っていただいたんです。でも、20番はドラゴンズのエースナンバーじゃないですか。いくらなんでもあのときの僕がつけていい番号じゃないと思いました。だから空いている番号を眺めて、その中の99番なら9と9を足したら18になるし、数字的にもインパクトがあっておもしろいんじゃないかと考えたんです。

森さんにはルーキーみたいな心配をされていた。

 でも僕の扱いに関して、森(繁和、当時のドラゴンズ監督)さんはいろいろと難しかったんじゃないかと思います。一軍でどのくらい投げられるのかは未知数でしたし、森さんには常にプロに入りたてのルーキーみたいな心配をされていたという印象があります。お父さんみたいなんて言ったら怒られるかもしれないけど(笑)、僕が高校からライオンズへ入団したとき、森さんは二軍のコーチで、先輩から「森さんは怖い」というエピソードをずいぶん聞かされていました。でも寮の食堂で一緒になると、僕は森さんとずっと喋っていました。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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