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日本球界に復帰後、光が射しこんだのが中日時代だ。苦闘の中にも復活への足がかりを見つけた右腕は、彼を慕う若き投手たちに大きな財産を残していた。
松坂大輔が最後の勝利を挙げたのは、中日時代だった。背番号99だった2018年に、日本球界では12年ぶりとなる白星を含む、6勝を挙げている。ソフトバンク在籍中は投球に重大な支障があった右肩の状態が、劇的に回復。実は多くの中日の選手が、同じ治療院に通っていた。そのなかにはまだ1年目を終えたばかりだった柳裕也、20歳だった小笠原慎之介も含まれている。初対面の思い出、マイベスト松坂、授かった言葉……。「平成の怪物」と呼ばれた右腕のDNAを受け継ぎ、今や中日の先発ローテーションの軸として活躍する2人が、それぞれの「松坂愛」を語り合った。
柳 まずはお互いの松坂さんとの「初対面」について話そう。俺は1年目に二軍戦でナゴヤ球場にソフトバンクが来た時だね。あいさつに行ったら「おお、柳」みたいな感じで知ってくれてたのが嬉しかった。
小笠原 僕はもっと印象的でしたよ。僕の初登板('16年5月31日)は福岡でのソフトバンク戦なんですよ。翌日の夜、デニーさん(友利、当時投手コーチ)から食事に誘われて。「知らない人も来るけど、気にしなくていいから」って。
柳 それが、まさかの?
小笠原 そう! 松坂さん、少し遅れてきたんです。お店の方が「お連れの方、いらっしゃいました」って。目の前にズンズン近づいてきて「デ、デニーさん、僕、この人知ってます」って言ったら、デニーさんも「え、知ってんだ!」って。隣の席でした。絶対に覚えておけば良かったって話をしていただけたはずなんですが、頭が真っ白で全く覚えてない(笑)。
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photograph by Ichisei Hiramatsu