これぞ“4番”の仕事だった。
8月18日の広島で、岡本和真は4-4の9回表、ワンアウト三塁でバッターボックスに立った。マウンドにはカープのクローザー、矢崎拓也が立つ。矢崎は初球、2球目と膝元へまっすぐを投げ込んだ。これがいずれも外れてツーボールとなる。一塁は空いており、勝負を避けるのかと思いきや3球目、矢崎はストライクゾーンにフォークを投じた。そして岡本が振るも、ファウル――。
「あの球を仕留めなければいけませんでしたね。あれは外野フライを打てる球でした。あのときの僕にはボールを見ようという気持ちはなくて、積極的に打ちに行くことしか考えていなかった。だから、どんどん振っていこうと思っていました」
ヒーローインタビューをルーキー浅野に譲る計らい。
3球目に続いて、6球目のフォークも岡本は振りに出て、ファウルを打った。そして7球目、高めに浮いたフォークを捉えると、打球はセンターの頭を越える。これが決勝のタイムリーツーベースヒットとなって、ジャイアンツが5-4で勝った。ヒーローは4番の岡本―ここで岡本が粋な計らいを見せる。ヒーローインタビューを、この日、プロ初ホームランを放った18歳のルーキー、浅野翔吾に譲ったのである。
「僕はありがたいことに今までもたくさん話をさせてもらっていますし、ファンのみなさんにとっても浅野君に喋ってもらったほうが新鮮でしょう。3点差からの2ランは大きかったし、1点差なら何とかなると、流れを変えてくれましたからね」
浅野はジャイアンツでは岡本以来の“高卒ドラ1の野手”である。坂本勇人、松井秀喜らの流れを汲むジャイアンツのエリートは、同じ立場でなければわからない苦しみを察することができるのかもしれない。
「いや、僕と同じ立場だなんて思わないですよ。だって彼のほうがはるかに打つ技術を持っていますし、走れますし、守備もできる。あの年齢でいきなり一軍の試合に出れば緊張すると思いますけど、自分のプレーができれば大丈夫な選手です。浅野君、顔は老けてますけど(笑)、行動を見ていたらまだ18歳だなという子なのにもう結果を出して、すごいなぁと思って見ています」
浅野が記念すべき1本目をその歴史に加えた、8月31日時点までのジャイアンツのホームラン。岡本は199本、坂本が281本でさらに数字を伸ばす。その上には321本の高橋由伸、332本の松井秀喜、382本の原辰徳、406本の阿部慎之助、444本の長嶋茂雄、そして868本の王貞治が君臨する。その中で岡本が今シーズン記録した“6年連続30ホームラン”を打ったのは、7年連続の松井と19年連続の王の2人だけ。ジャイアンツ史上、歴史に名を刻むホームランアーチストとなった岡本に、どんなホームランが理想なのかと訊くと、彼はこう言った。
「打ったボールがホームランになるということは、いい打ち方ができているということじゃないですか。だからでっかいホームランでもギリギリのホームランでも、レフトでもライトでも、どんなホームランでも嬉しいし、打ったホームランにそれ以上の何かを求めることはありません。それよりも僕は、ホームランを打ちたいと思うと余計な力みを生んでしまうので、そういう邪魔な気持ちを抑えながら、どういうボールを打ちに行くのかというセレクトと、どうやって来たボールに入っていくのかというタイミングだけを考えてアプローチするようにしています」
4番という打順へのこだわりはない。
8月29日、発熱による特例2023の対象選手となって出場選手登録を抹消されるまで、全試合で4番を務めてきた岡本。今シーズンは、タイガースの大山悠輔、ベイスターズの牧秀悟と、セ・リーグの右バッター3人だけが不動の4番だった。
「僕、大山さんのバッティングが好きで、以前はよく動画を見ていました。綺麗で芸術的なんですよ。WBCのときには牧君の回転するときの軸足の強さ、力を伝える動きが無駄なくボールに向かっていく精度の高さを参考にしていました。同じ右バッターで、ギリギリ同じ世代ですし、左のムネ(村上宗隆)も含めて、みんなからすごく刺激を受けています。ただ、僕の中では4番という打順へのこだわりはないんですよ。僕は3番を打ちたいんです。だって初回に回ってくるじゃないですか。そのほうが試合にすんなり入りやすいんです。4番だと初回が三者凡退だった場合、2回が先頭だから、そわそわしちゃう(笑)。高校のときも3番だったし、1打席目が終わるとその試合、落ち着けるんで、早く打席に入りたい。だからホントは3番を打ちたいなって……へへ」
岡本和真Kazuma Okamoto
1996年6月30日、奈良県生まれ。智辯学園高3年時に、ドラフト1位指名を受け、'15年に巨人に入団。史上最年少の22歳で「3割・30本塁打・100打点」を達成。186cm、100kg。