昨年、26年ぶりの日本一を達成したオリックス。その原動力の1つになったのが多士済々の救援陣の存在だ。若手剛腕の台頭と、随所で存在感を発揮したベテランの働き。厚みが増したブルペンはいかにして作り上げられたのか。
オリックスが26年ぶりのリーグ連覇と日本一を達成した昨年、チームの勢いと団結力を象徴していたのがブルペンだった。
特にシーズン終盤の優勝争いやCS、日本シリーズでは、ブルペン陣の踏ん張りが勝利を手繰り寄せた。しかも接戦のマウンドを任されたセットアッパーは山崎颯一郎や宇田川優希、阿部翔太など一軍でのリリーフ経験が浅かった投手たち。
24歳(当時)の山崎は昨年途中に先発からリリーフに転向、一軍ブルペンに加わったのは8月末。山崎と同学年の宇田川は昨年7月まで育成選手だった。阿部は29歳(当時)と年齢的には中堅だが、28歳でプロ入りし1年目は怪我で離脱したため、実質的には昨年が1年目。
そうした新戦力が、普通なら縮み上がってもおかしくない、失点が許されない緊迫した場面で臆することなく腕を振った。
「そういう場面で純粋に、みんな投げたがるんですよ。それがすごいなと思って。そういう状況でも、『打たれたくない』と四隅を狙いすぎて自分のパフォーマンスを発揮できない、というのがなかったんです」
そう話すのは、昨年までオリックスで選手兼任投手コーチを務めた能見篤史だ。
それができたのは、ブルペンの空気のおかげだと、山崎は言う。
「比嘉(幹貴)さんや平野(佳寿)さんのおかげで、ブルペンはすごく雰囲気がいいんです。リラックスして自分の準備ができるし、締めるところは締めてくれる。2人がうまくまとめてくれていると思います」
阿部も、チーム最年長40歳の比嘉と、39歳の今年日米通算200セーブ200ホールドを達成した平野の名前を挙げる。
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photograph by Nanae Suzuki