意志あるところに道は拓ける。
2010年、筑波大学にスポーツ器具を研究開発するグループが発足。フィギュアスケート靴を担当した武田理さんはグラスファイバーに目をつけ、'14年、世界有数の繊維メーカー、日東紡績でプレゼンを行なう。このとき彼は、資料の最後にこう書き添えた。
《実は私、中学時代から棒高跳びをやっていて、国産ポールの開発を夢見ています》
新規事業の創出が課題となっていた同社は、これに反応。ここから国内初と言っていい、棒高跳びポールの開発が始まる。
驚くことに、ポールには規定がない。表面が滑らかでさえあれば、素材も長さも自由。そして安くて良質な国産ポールの開発は、武田さんをはじめ愛好家にとって長年の悲願だった。採算ベースに乗らないという理由から、長く日本メーカーに敬遠されてきたからだ。
「私が高校時代に使っていた輸入物が、いまは17万円もする。ポールは経年劣化で折れることもあり、また記録が伸びるたびに買い替える必要がありますが、こんなに高かったらそうそう手を出せないですよね」
日本の、とくに女子の棒高跳びは世界から大きく水を開けられているが、それは欧米勢に比べてフィジカルが劣るということだけが理由ではない。ポールが高価なあまり、競技の普及が進んでいないのだ。
日東紡績でのプレゼンから7年後の'21年、武田さんは「合同会社ポジティブアンドアクティブ」を創業。ついに国産ポールを完成させる。それが軽さと反発力を重視した『leap』。税込8万4700円~という価格は、物価高騰が進む中ではリーズナブルだ。
やがて武田さんのもとに、購入者からの嬉しい声が次々と届くようになった。
「310cmしか跳べなかった小柄な中学生が1年後に400cmに記録を伸ばし、全国大会に出場するまでに成長したんです」
棒高跳びポール製造のノウハウがまったくなかった中、短期間で開発に成功したのはなぜか。身銭を切り続け、100本を超える試作品を作っては自ら跳び続けた武田さんが言う。
「グラスファイバーの巻き方や曲がるポイントを変えるなど、あらゆることを試しました。実験をしているときは失敗ばかりで、地獄のようにしんどい。でも、失敗を繰り返すことが血肉となり、1%の成功につながるんです」
スポーツ器具を巡る旅、その最後は、あきらめなかった研究者の言葉で締めくくりたい。