14歳だった大谷がイチローの活躍に心躍らせたように今度は自らWBCに出ることで未来のスターに夢を与える番だ。地元のトレーナーが、野球少年への影響の大きさを語る。
近づく雪解けのように、まるで新しい世界が一瞬にして広がるように、中学生だった彼の心は躍った。
「印象としては(2009年の)韓国戦が強いですね。日本のトップ選手たちが一つのチームで、他の国のトップ選手たちとやっているのを観るだけでワクワクしました。僕も野球を学生でやっていて、一番楽しい時期だったんじゃないかなと思うし、どうしてもそのイメージになってしまいます」
1月6日、WBC日本代表の記者会見でのことだ。登壇した大谷翔平は、14年前に観たWBCの記憶をそう語った。
いずれも日本が優勝した第1回大会(2006年)は大谷が11歳、第2回大会(2009年)は14歳、まだ岩手県内に住む小中学生だったときに開催されている。
2009年3月23日の第2回WBC決勝・韓国戦はイチローの決勝打で日本が連覇を果たすわけだが、その伝説の試合も含めたWBCの中継を、センバツ甲子園に向かうバスの車中で観ていたチームがあった。
後に大谷の母校となる、花巻東高校野球部だ。当時は同校のトレーナーを務め、現在は花巻市内で東北スポーツ整骨院を営む小菅智美が思い起こす。
「ちょうどその年、菊池雄星(現・ブルージェイズ)たちのチームが甲子園のセンバツ大会に出場していたんですが、練習や試合に向かうバスでWBCを観て、みんなでメチャクチャ興奮した記憶がありますね」
その大会で花巻東は「岩手から日本一」の言葉を心に刻み、その目標にこそ辿り着かなかったが、センバツ準優勝を果たす。
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photograph by BUNGEISHUNJU