菊池雄星、大谷翔平と“怪物”を輩出してきた名門の存在は、ライバルたちの奮起を促し、岩手県全体のレベルアップにもつながった。花巻東とはいかなる存在なのか。怪物退治に燃えた2人が回想する。
岩手県の高校野球を紐解くと、大きな分岐点が鮮明に浮かび上がる。
菊池雄星が出現する「以前」と「以後」である。花巻東が春のセンバツで準優勝を遂げた2009年を境に、甲子園における岩手県勢の戦績は一変した。
2009年以前。
春4勝13敗、夏24勝66敗1分。
2009年以降。
春11勝10敗、夏17勝12敗。
「菊池雄星君の世代の花巻東高校が、間違いなく岩手県の転換期になったと思います」
そう即答するのは盛岡大附属の監督、関口清治だ。1995年夏。自身も同校でキャプテンだった。最速141kmの好投手・小石澤浄孝を擁したチームは東北で指折りの実力を誇りながらも、初出場を遂げた甲子園では初戦であっさりと散った。
関口は「菊池雄星以前」の経験者として、当時の岩手の気質をこう語る。
「あの頃の岩手は、140kmを投げるピッチャーがいるだけで優勝できるようなレベルで、そのすごいピッチャーを本気で倒すために頭を使ったりっていうチームはなかったと思います。甲子園に出ても『本気で勝とう』という気持ちは薄かったはずです。少なくとも僕たちはそうでした」
そんな後ろ向きな岩手の潮目を変えたのが菊池であり、花巻東だった。
「小学生からすごくいいピッチャーでした」
菊池達朗は少年時代から彼を知るひとりだ。小学生から対戦経験がある同姓のライバルは「雄星」「達朗」と呼び合い、試合などを通じて交流を重ねてきた。
雄星が花巻東に進学することが決まると、達朗は昂揚感を覚えたという。
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photograph by Kiichi Matsumoto