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[2人の怪物と対峙して]「打倒・花巻東」が岩手を変えた

2022/08/04
(左)09年に母校・盛岡大附の監督に就任以降、春夏計9度、甲子園に導いた関口。教え子に松本裕樹(ソフトバンク)ら/(右)'09年県大会決勝の投球は「1球1球、鮮明に覚えている」という菊池。今年4月から久慈高の監督を務めている
菊池雄星、大谷翔平と“怪物”を輩出してきた名門の存在は、ライバルたちの奮起を促し、岩手県全体のレベルアップにもつながった。花巻東とはいかなる存在なのか。怪物退治に燃えた2人が回想する。

 岩手県の高校野球を紐解くと、大きな分岐点が鮮明に浮かび上がる。

 菊池雄星が出現する「以前」と「以後」である。花巻東が春のセンバツで準優勝を遂げた2009年を境に、甲子園における岩手県勢の戦績は一変した。

 2009年以前。

 春4勝13敗、夏24勝66敗1分。

 2009年以降。

 春11勝10敗、夏17勝12敗。

「菊池雄星君の世代の花巻東高校が、間違いなく岩手県の転換期になったと思います」

 そう即答するのは盛岡大附属の監督、関口清治だ。1995年夏。自身も同校でキャプテンだった。最速141kmの好投手・小石澤浄孝を擁したチームは東北で指折りの実力を誇りながらも、初出場を遂げた甲子園では初戦であっさりと散った。

 関口は「菊池雄星以前」の経験者として、当時の岩手の気質をこう語る。

「あの頃の岩手は、140kmを投げるピッチャーがいるだけで優勝できるようなレベルで、そのすごいピッチャーを本気で倒すために頭を使ったりっていうチームはなかったと思います。甲子園に出ても『本気で勝とう』という気持ちは薄かったはずです。少なくとも僕たちはそうでした」

 そんな後ろ向きな岩手の潮目を変えたのが菊池であり、花巻東だった。

「小学生からすごくいいピッチャーでした」

 菊池達朗は少年時代から彼を知るひとりだ。小学生から対戦経験がある同姓のライバルは「雄星」「達朗」と呼び合い、試合などを通じて交流を重ねてきた。

 雄星が花巻東に進学することが決まると、達朗は昂揚感を覚えたという。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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