#1044
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[「初タイトルの一手」を語る(3)]広瀬章人「王子の香車が開けた風穴」

2022/01/22
3連覇中の王位を追い詰めて迎えた第6局の最終盤。大学生にして気鋭の挑戦者は、“究極の二択”を迫られた。

 2010年の第51期王位戦で予選を勝ち抜いて初めて紅白リーグに入った広瀬章人は、その時点ではまだ大きく目立つ存在ではなかった。王位戦は伝統的に若手が活躍しやすい上、第51期も広瀬と同世代の棋士が数人リーグ入りしていたからである。

 ふたを開けてみると、広瀬は当時竜王だった渡辺明らを破ってリーグ優勝。挑戦者決定戦では名人だった羽生善治を破って、深浦康市王位への挑戦権を勝ち取った。挑戦者決定戦は鮮烈な印象を残した将棋だった。広瀬が誰も気づかない鋭い攻めで、無類の強さを誇る羽生をスパッと切ったのだ。快進撃の原動力となったのが「振り飛車穴熊」。当時、指す棋士が少なかった戦法を駆使して、広瀬は竜王と名人に勝った。

 振り飛車穴熊が得意なことで付けられた異名が「振り穴王子」。『将棋世界』2009年4月号で大平武洋五段(当時)が使ったのが出始めだ。広瀬が活躍するにつれて浸透した。「語呂はよかったので振り穴王子と呼ばれて嫌ではなかった」という。

 当時、広瀬は早稲田大学の学生でもあった。勝負の世界に学歴は関係なく、大学に進学する棋士は少ない。広瀬以降の棋士でも大学進学者は4人に1人程度である。

 王位戦のタイトル戦は七番勝負。例年7月から9月にかけて行われるので、大学の期末試験と日程がかぶってしまう。ただ、広瀬が王位挑戦を果たしたときは卒論以外の単位を取り終えており問題はなかった。

 タイトル戦の番勝負は全国各地を転戦し、和服で対局するのが習慣だ。広瀬は母の友人が勤める呉服店から和服を購入した。ところが、第1局の3日前に用意した袴が武道などで使うもので、対局に不向きだと分かった。「急遽、師匠の勝浦修九段から袴を借りたが恥ずかしかった」と述懐する。

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photograph by Hirofumi Kamaya

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