オンライン会見のまどろっこしさが、実直な人柄にはかえって似合うような気がした。
5月22日、大野均は、PC画面の向こう側から静かに語りかけた。
「灰になってもまだ燃えるのが私の信条ですが、1年前から膝の痛みが出てしまい、昨年末から別メニューの治療、調整を続けてきましたが回復は見られず、また昨年のW杯での日本代表の躍進、東芝でも若い選手の台頭が見られ、とても頼もしく感じ、これ以上やり残したことはないと感じ、引退を決意しました」
生ける伝説だった。福島県郡山市の農家に生まれ、毎朝の乳搾り、新聞配達、中・高の野球部では補欠でもひたむきな練習で身体を鍛えた。ラグビーを始めたのは福島県の日大工学部。日の当たらない東北地区大学リーグで、3~4年時は2部暮らし。そんな雑草が、東芝に入りトップリーグ5度の優勝に貢献。MVPを1度、ベストフィフティーンは最多の9度も受賞。日本代表としては史上最多の98キャップを積み上げた。
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photograph by Nobuhiko Otomo