#836
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<イチロー 青春の挫折> 甲子園で流した 「たった一度の涙」

2013/09/13
高3の春、2度目の甲子園に臨んだが初戦で松商学園に惜敗。自責点3、奪三振4の投球内容だった。
2度の出場はいずれも初戦敗退。鈴木一朗の聖地での戦績だ。
しかし挫折とも取れる現実を前に、彼は決して研鑽を止めなかった。
大器の片鱗が煌めいた高校時代の逸話を、関係者の証言でひもとく。

「甲子園が目標ではありません。プロになれる選手に育ててほしい」

 愛工大名電の監督を務めた中村豪は、豊山中の3年生だったイチローと父親の宣之氏からそう言われたことをよく覚えている。

「任せてください」と返答したが、目の前にいる痩せぎすの中学生がどれだけの可能性を秘めているのか。工藤公康や山崎武司をはじめ、同校に赴任して11年間で10人の教え子をプロの世界に送り出していた名将も、このときはまだわからなかった。

 中村の姿勢がぐっと前のめりになるのは、実際にプレーを見たときだ。

「ボールを芯でとらえる感覚がずば抜けていました。入学前の練習試合で起用したら、いきなり活躍したので度胸もあるな、と」

 2年生の捕手だった日比野公彦も、その試合を記憶している。

「当時はうちで野球するのは無理だと思うほど痩せていましたが、いきなり鋭い打球をセンター前へ運んだんです。そのあとも2本ヒットを打ったはずです。これは凄い奴が入ってきたぞって思いましたね」

イチローが、汗だくになって帰ってきた夜。

 突出した才能をチームに溶け込ませるには、さまざまな配慮が必要だ。中村は親分肌な気質を持つ日比野に、こんな指示を出した。

「あいつは必ず戦力になる。上級生につぶされないよう、ガード役として守ってやれ」

 愛工大名電の野球部は、1年生から3年生まで50人ほどの部員が寮で生活する。二段ベッドが並ぶ大広間で、全員が寝起きを共にするのである。どこか神経質そうな1年生がときに理不尽な上下関係に苦しみ、精神的に追い詰められるのを中村は懸念したのだ。

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photograph by Katsuro Okazawa

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