実力の差に愕然とした敗戦もあれば、チームに団結を生んだ勝利もあった。
日本代表は、遠く離れた敵地での戦いを通して、
何をつかみ、未来への糧としてきたのか。
“世界”を体感した当事者たちの証言とともに、苦闘の軌跡を振り返る。
のしかかるような鈍色の空が、パリ郊外のサンドニを覆っていた。ただでさえ湿りがちなピッチを、激しい雨が打ち叩いている。2001年3月24日のスタッド・ド・フランスは、午前中から雨に見舞われていた。
ピッチコンディションの確認に出てきた選手たちの顔に、肩に、雨粒が吹きつける。誰に語りかけるでもなく、森岡隆三は声をあげた。
「すごいな、これっ。サッカーになんのかな」
「これだけ水浸しだと、フランスもボールを回せないだろ」(松田)
アップシューズで緩い芝生を踏みしめるたびに、水たまりを蹴っているようだった。森岡とともにフラット3を形成する松田直樹が、乾いた声で応じた。
「ホントだな。これだけ水浸しだと、フランスもボールを回せないだろ」
ロッカールームへ戻った森岡は、Jリーグではあまり使わない取り替え式のスパイクを取り出し、いつも以上に長いアルミのポイントを用意した。固定式に比べて足元に重さを感じるが、森岡は「でも、滑るよりはいいよな」と呟く。チームメイトも彼に同調した。
2000年6月にモロッコで行なわれたハッサン2世杯で、日本は世界王者フランスと2対2のドローを演じている。直後のEURO2000で欧州の頂点に君臨する世界のトップ・オブ・トップと引き分けた自信は、シドニー五輪8強とアジアカップ制覇へつながっていった。
それだけに、試合前日の取材エリアには、不安ではなく期待が渦巻いていた。「あのときのフランスが流していたといっても、引き分けは引き分けでしょ」と松田はうっすらと笑みを浮かべ、フラット3の左サイドを担う服部年宏も「尊敬できる相手だけど、弱気にはならない。こういう場面になったらこうしよう、という守備の約束事も増えているから」と艶のある低音で答えている。
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