日本人監督が海外のプロチームを率いる、極めて珍しい例だ。
中国独特の問題に直面しながら、岡田武史は自らのスタイルを貫く。
強化のノウハウはニッポンに学べ――。
日本サッカーはJリーグが始まった1993年を境に急速な発展を遂げ、今やアジアをリードする立場に変わった。
昨年10月、その日本に倣おうと中国から視察団が訪れた。中国サッカーは代表チームの低迷が続き、国内リーグも八百長問題で人気が急落。再建を図るために国家が前面に出てきた。中国国家体育総局の蔡振華副局長は「中国と日本の差を素直に認めて何をやるべきか考えたい」と“日本流”の輸入を宣言した。
日本サッカーに熱い視線が向けられるなか、南アフリカW杯で日本をベスト16に導いた岡田武史が中国スーパーリーグの中堅「杭州緑城」の監督に就任した。海外プロリーグで指揮を執るという新たな挑戦に打って出た。
W杯に2度出場し、Jリーグを2連覇するなど最も実績のある日本人指揮官の招聘は、中国国内でも大きな反響を呼んだ。
だが中国には戦争によって根強い反日感情も残る。日本とは文化や思想教育も違う。ここで成功を掴むのは並大抵のことではない。それでも岡田は迷うことなくイバラの道を選んだ。彼は中国サッカーに何をもたらそうとしているのか――。
代表監督時代とはまるで違う岡田武史がそこにはいた。
「まずは体幹の別バージョンやります! 1時間ぐらい練習やって若い人たちは残ってシュート練習やるからな。よし、行こう!」
2月下旬、砂風呂で有名な鹿児島の温泉地・指宿。日本代表の合宿でも慣れ親しんだリゾート地で岡田の甲高い声は響き渡っていた。
練習の最初から最後まで精力的に動く姿があった。ウォーミングアップの体幹トレーニングでは輪の中心に立ち、自ら体を使って実践。ボールを使う練習に移ると、身振り手振りを加えて口も手足も動かしっぱなしだ。笑い飛ばした後で一転して厳しい口調にもなる。難しい顔つきが多かった代表監督時代とはまるで違う岡田武史がそこにはいた。
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