今年で100回を迎えた箱根駅伝。初めてテレビ中継された1979年は、東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送していた / photograph by Yuki Suenaga 1979年(昭和54年)1月3日の朝日新聞テレビ欄(筆者撮影)。日テレは欽ちゃんの正月公演や巨人軍ゴルフ大会を放送 1987年(昭和62年)1月1日付の読売新聞に掲載された広告(筆者撮影) 1987年(昭和62年)1月1日の朝日新聞テレビ欄(筆者撮影)。当時は2部構成で放送 100回大会を迎えた箱根駅伝。テレビ中継の歴史を紐解くと、「平成」で育ったコンテンツだったことがよくわかる ©︎Yuki Suenaga 今年で100回を迎えた箱根駅伝。初めてのテレビ中継は1979年で、東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送していた ©Yuki Suenaga 1979年(昭和54年)1月3日の朝日新聞テレビ欄(筆者撮影)。日テレは欽ちゃんの正月公演や巨人軍ゴルフ大会を放送 1987年(昭和62年)1月1日付の読売新聞に掲載された広告(筆者撮影) 1987年(昭和62年)1月1日の朝日新聞テレビ欄。当時は2部構成で放送(筆者撮影) 1987年(昭和62年)1月3日の朝日新聞テレビ欄。当時は2部構成で放送(筆者撮影) 青学大5区の若林宏樹(3年)、2位駒大に2分38秒差をつけてゴール。青学大の往路優勝は2年ぶり ©Nanae Suzuki 1月2日、往路優勝後のセレモニーで ©Nanae Suzuki 青学大2区を走り区間賞を獲得した黒田朝日(2年)。1区トップの駒大と36秒差でタスキを受け取り、22秒差の2位に浮上 ©Yuki Suenaga 3区、駒大・佐藤圭汰(2年)と青学大・太田蒼生(3年)。3区スタート時の22秒差を逆転、最後のスパートで太田が佐藤を抜き去った ©Naoya Sanuki 青学大4区を走った佐藤一世(4年)。4秒差のリードを1分27秒差まで一気に広げた ©Yuki Suenaga 1区序盤で飛び出した駿河台大・レマイヤン。駒大の篠原倖太朗、青学大の荒巻朋熙、國學院大の伊地知賢造の3人が追う展開に ©Yuki Suenaga 5区ゴール後に倒れ込んだ駒大・金子伊吹(4年)【1枚目/全2枚】 ©Nanae Suzuki 5区ゴール後に倒れ込んだ駒大・金子伊吹(4年)【2枚目/全2枚】 ©Nanae Suzuki 3区、駒大・佐藤圭汰(2年)と青学大・太田蒼生(3年)。3区スタート時の22秒差を逆転、最後のスパートで太田が佐藤を抜き去った【1枚目/全2枚】 ©Naoya Sanuki 3区、駒大・佐藤圭汰(2年)と青学大・太田蒼生(3年)【2枚目/全2枚】 ©Naoya Sanuki 2021年6月の日本選手権で。青学大1年時の太田蒼生 ©AFLO 往路ゴールで若林宏樹(3年)を待つ、青学大・黒田朝日(2年)と太田蒼生(3年) 青学大2区を走り区間賞を獲得した黒田朝日(2年)。1区トップの駒大と36秒差でタスキを受け取り、22秒差の2位に浮上 ©Yuki Suenaga 1区序盤で飛び出した駿河台大・レマイヤン。駒大の篠原倖太朗、青学大の荒巻朋熙、國學院大の伊地知賢造の3人が追う展開に ©Yuki Suenaga 2分38秒差の2位でゴールする駒大5区の金子伊吹(4年) ©Nanae Suzuki 駒大2区の鈴木芽吹(4年)。1時間6分20秒で区間2位だったが、レース後に号泣 ©Yuki Suenaga 青学大4区を走った佐藤一世(4年)。4秒差のリードを1分27秒差まで一気に広げた ©Yuki Suenaga 駒大4区を走った山川拓馬(2年)。区間6位、藤田監督は「(山川は)股関節の痛みで11月に練習できなかった」と明かした 1月2日、往路優勝後のセレモニーで ©Nanae Suzuki 青学大1区、スタート前の荒巻朋熙(2年) ©Nanae Suzuki 青学大5区の若林宏樹(3年)、2位駒大に2分38秒差をつけてゴール。青学大の往路優勝は2年ぶり ©Nanae Suzuki 往路優勝を果たし喜ぶ青学大の選手たち ©Nanae Suzuki 往路優勝を果たし喜ぶ青学大の選手たち ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki

1979年(昭和54年)1月3日の朝日新聞テレビ欄(筆者撮影)。日テレは欽ちゃんの正月公演や巨人軍ゴルフ大会を放送

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今年で100回を迎えた箱根駅伝。初めてテレビ中継された1979年は、東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送していた / photograph by Yuki Suenaga 1979年(昭和54年)1月3日の朝日新聞テレビ欄(筆者撮影)。日テレは欽ちゃんの正月公演や巨人軍ゴルフ大会を放送 1987年(昭和62年)1月1日付の読売新聞に掲載された広告(筆者撮影) 1987年(昭和62年)1月1日の朝日新聞テレビ欄(筆者撮影)。当時は2部構成で放送 100回大会を迎えた箱根駅伝。テレビ中継の歴史を紐解くと、「平成」で育ったコンテンツだったことがよくわかる ©︎Yuki Suenaga 今年で100回を迎えた箱根駅伝。初めてのテレビ中継は1979年で、東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送していた ©Yuki Suenaga 1979年(昭和54年)1月3日の朝日新聞テレビ欄(筆者撮影)。日テレは欽ちゃんの正月公演や巨人軍ゴルフ大会を放送 1987年(昭和62年)1月1日付の読売新聞に掲載された広告(筆者撮影) 1987年(昭和62年)1月1日の朝日新聞テレビ欄。当時は2部構成で放送(筆者撮影) 1987年(昭和62年)1月3日の朝日新聞テレビ欄。当時は2部構成で放送(筆者撮影) 青学大5区の若林宏樹(3年)、2位駒大に2分38秒差をつけてゴール。青学大の往路優勝は2年ぶり ©Nanae Suzuki 1月2日、往路優勝後のセレモニーで ©Nanae Suzuki 青学大2区を走り区間賞を獲得した黒田朝日(2年)。1区トップの駒大と36秒差でタスキを受け取り、22秒差の2位に浮上 ©Yuki Suenaga 3区、駒大・佐藤圭汰(2年)と青学大・太田蒼生(3年)。3区スタート時の22秒差を逆転、最後のスパートで太田が佐藤を抜き去った ©Naoya Sanuki 青学大4区を走った佐藤一世(4年)。4秒差のリードを1分27秒差まで一気に広げた ©Yuki Suenaga 1区序盤で飛び出した駿河台大・レマイヤン。駒大の篠原倖太朗、青学大の荒巻朋熙、國學院大の伊地知賢造の3人が追う展開に ©Yuki Suenaga 5区ゴール後に倒れ込んだ駒大・金子伊吹(4年)【1枚目/全2枚】 ©Nanae Suzuki 5区ゴール後に倒れ込んだ駒大・金子伊吹(4年)【2枚目/全2枚】 ©Nanae Suzuki 3区、駒大・佐藤圭汰(2年)と青学大・太田蒼生(3年)。3区スタート時の22秒差を逆転、最後のスパートで太田が佐藤を抜き去った【1枚目/全2枚】 ©Naoya Sanuki 3区、駒大・佐藤圭汰(2年)と青学大・太田蒼生(3年)【2枚目/全2枚】 ©Naoya Sanuki 2021年6月の日本選手権で。青学大1年時の太田蒼生 ©AFLO 往路ゴールで若林宏樹(3年)を待つ、青学大・黒田朝日(2年)と太田蒼生(3年) 青学大2区を走り区間賞を獲得した黒田朝日(2年)。1区トップの駒大と36秒差でタスキを受け取り、22秒差の2位に浮上 ©Yuki Suenaga 1区序盤で飛び出した駿河台大・レマイヤン。駒大の篠原倖太朗、青学大の荒巻朋熙、國學院大の伊地知賢造の3人が追う展開に ©Yuki Suenaga 2分38秒差の2位でゴールする駒大5区の金子伊吹(4年) ©Nanae Suzuki 駒大2区の鈴木芽吹(4年)。1時間6分20秒で区間2位だったが、レース後に号泣 ©Yuki Suenaga 青学大4区を走った佐藤一世(4年)。4秒差のリードを1分27秒差まで一気に広げた ©Yuki Suenaga 駒大4区を走った山川拓馬(2年)。区間6位、藤田監督は「(山川は)股関節の痛みで11月に練習できなかった」と明かした 1月2日、往路優勝後のセレモニーで ©Nanae Suzuki 青学大1区、スタート前の荒巻朋熙(2年) ©Nanae Suzuki 青学大5区の若林宏樹(3年)、2位駒大に2分38秒差をつけてゴール。青学大の往路優勝は2年ぶり ©Nanae Suzuki 往路優勝を果たし喜ぶ青学大の選手たち ©Nanae Suzuki 往路優勝を果たし喜ぶ青学大の選手たち ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki ©Nanae Suzuki

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