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「あの時もっとちゃんと投げられたら…」センバツ決勝「まさかの14失点」の失意から…“山田陽翔の控え”だった左腕が《DeNAのドラ1指名》を掴むまで 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph byHideki Sugiyama

posted2026/10/26 11:02

「あの時もっとちゃんと投げられたら…」センバツ決勝「まさかの14失点」の失意から…“山田陽翔の控え”だった左腕が《DeNAのドラ1指名》を掴むまで<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

DeNAから1位指名を受けた大商大の星野世那。近江高時代はセンバツ決勝に登板し、14失点を喫する苦難も経験した

 山田は投げても最速149キロ(当時)の剛球を武器にし、打っては4番打者。高校通算31本塁打を数える右のスラッガーでもあり、主将も務めるチームの中心だった。

 本来は右のエースが山田、そして左のエースが星野となるはずだった。だが、甲子園のマウンドに立っているのはいつも山田だった。

 当時の自分を、星野はさらに掘り下げながら振り返る。

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「あの頃の自分は投げることに必死でした。気持ちに余裕がなくて、多賀(章仁)監督(当時)からは“向かっていく姿勢が足りない”ともよく言われていました。山田は気持ちを前面に出すピッチャーだったので、余計にそう感じやすかったかもしれません。技術もそうですが、マウンドでの佇まいも含めて高校の時はまだまだ足りないものばかりだったと思います」

高3センバツで味わった「苦い経験」

 振り返れば、その約4カ月前の第94回選抜大会決勝で大阪桐蔭と相対した近江のマウンドにも、やはり山田が立っていた。

 だが、山田は前日の準決勝の浦和学院戦で延長11回、170球を投げ切り、その2日前の準々決勝の金光大阪戦でも127球を投げて完投勝ちしており、疲労が溜まっているのは明らかだった。

 案の定、初回から大阪桐蔭の強力打線に山田がつかまった。

 味方のエラーも重なり、1回、2回と1点ずつ失う。そして3回に大阪桐蔭の3番・松尾汐恩(DeNA)から2ランを浴びた直後に山田は降板した。

 そしてマウンドに立ったのが星野だった。

 4番の丸山一喜(立教大)を三振に取り、5番の海老根優大(SUBARU)を三直に抑えたものの、6番の田井志門(國學院大)に中越えソロ本塁打を浴び、5回にも適時打で1点。6回には海老根の3ランを含む4点と大阪桐蔭の勢いを止められず、8回途中に降板するまで14点(自責は6点)を失った。

 厳しい言い方かもしれないが、その試合が当時の星野を象徴していた。

 帰郷後も、指揮官から何度も厳しく指摘を受けた。頭では分かっていた。だが、いざマウンドに立ってもうまく体現できなかった。

【次ページ】 最後の夏も…地方大会で不甲斐ない投球に?

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