甲子園の風BACK NUMBER
「自分が甲子園出たかなんて、指導に関係ある?」専大松戸の老将が4校を甲子園出場させた秘訣とは「昔は乱暴も言ったけど…今は俺が一番怒らない」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/10/13 06:05
4校で甲子園に出場し、現在も専大松戸を率いる名将・持丸修一は80歳近くなっても指導の試行錯誤を続けている
「ある程度の年齢になってからはそういうことはしなくなった。怒るほうもエネルギーがいるんだよ。前日に注意したことを見過ごしてしまうと、生徒は『これでいい』となってしまう。だから、口酸っぱく叱ったことはある」
高校卒業後に國學院大学に進み、4年生の時から母校・竜ヶ崎一のコーチをつとめ、23歳で社会科教諭(専門は日本史)に、27歳で野球部の監督になった。
竜ヶ崎一の監督として、1990(平成2)年夏の甲子園に出場して勝利を挙げた。1996年に同じ茨城県立の藤代に転任。2001年春のセンバツに同校を初めて導いた。
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2003年9月、師匠である木内幸男の後任として常総学院の監督に就任、3度の甲子園出場を果たした。2011年12月から専大松戸の監督として指揮をとっている。
最近の生徒は、ことわざを知らないね
「時代に合わせて指導を変えたということはないけど、生徒に伝わるように言い方は考えてきた。結果として今の形になったということだろうね。
最近の生徒について思うのは、ことわざを知らないということ。『李下に冠を正さず』と話してもポカンとしてる。昔はそういう故事を使って教訓めいたことを言うと、こちらの意図を理解してくれたんだけど」
今の生徒に伝わるようにと考えると、どうしても平易な表現にせざるをえない。
「昔よりもやりづらさを感じることはあるよ。『まわりから疑われるようなことをしちゃいけないんだよ』と言うしかないんだから。ただ、専大松戸の生徒はよく話を聞く。俺が言うことを理解できないような子はひとりもいない」
跳ねっ返りがいない分落ち着いた指導ができるが、一方で物足りなさも感じている。
「送りバントのサインが出た時に、わざとファウルにするようなのはいない。選手時代、ヒットを打てる自信がある時に俺もよくやったもんだよ。命令違反のように見えるけど、俺は好き。
監督に言われたことだけする生徒ばかりだと、劣勢の時に挽回することができない。跳ね返す力というか、反発力みたいなものは大事だと思う。みんないい子だから、今は番狂わせがあまり起きないでしょ」
持丸はコーチ、部長の指導をうしろで見ながら、全体の指導を行っている。

