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「ぐちょっ」「ぐちょっ」激痛に悶え病院直行…西武一筋25年で引退の栗山巧が明かすプロ初満塁弾の裏側「あんなに辛かったことはあとにも先にも…」
text by

栗山巧Takumi Kuriyama
photograph byKiichi Matsumoto
posted2026/09/26 11:03
引退セレモニーで胴上げされる栗山巧
僕はライトへ先頭打者ホームランを打ちました。
そこから再び、スタメンに定着。
シーズン84試合出場で打率2割9分7厘。最終戦の一発で10本塁打にも到達しました。
プロで戦う本当の難しさは…
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プレーオフ第1ステージ、対千葉ロッテマリーンズとの初戦では、渡辺俊介さんの初球をとらえて先頭打者ホームランを打つこともできました。
これ以降、守備の問題で二軍に行くことはなくなりました。
ケガ以外で登録を抹消されることもなくなった。
一定の信頼を勝ち得たのかもしれません。
ただ、守備にせよ、打撃にせよ、課題を完全に解決できたわけではない。
それでも、一軍で戦い続けなければならない。
プロとして戦う本当の難しさに、僕は徐々に直面していくことになります。
「いずれ3割20本、いや30本打てる打者になる」
4年目のシーズンを終えた僕は、そんな評価をしてもらえるようになりました。
自分で言うのもなんですが、当時は本当にいい打球を打つことができていた。
比較対象は「カブレラ、和田一浩さん…」
ですが、一軍でのプレーが続くにつれ、少しずつ無邪気にバットを振ることができなくなってきていました。期待が重かったこともありますが、それ以上に「いろいろなことが見えてきた」ことが、かえって難しさを生んだ気がします。
一番はやはり、自分は守備の負い目を打撃で埋め合わせなければならない、という図式が見えたことです。河田さんとの特訓で改善されたものの、他の外野手と比べればまだ数段レベルは落ちていたと思います。当初は深く考えもせず「自分は打撃で勝負できる」と思っていた。でも、当時のチームにはアレックス・カブレラ、和田一浩さんなど、球界トップクラスの打撃で勝負できる選手がそろっていた。守備を度外視してもらうなら、あのレベルが必要。そう気付いたとたん、打撃がものすごく難しいものに思えました。
2006年シーズン開幕戦のオリックス戦。僕は1番右翼手で先発出場しました。
1回裏、その年の初打席。

