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「ノモを訪ねるように」石井浩郎二軍監督からの指令にキョトン…若き日の西武・栗山巧が“伝説の人”から得たもの「現実味があるとはまったく…」
text by

栗山巧Takumi Kuriyama
photograph byKiichi Matsumoto
posted2026/09/26 11:02
引退セレモニーで野茂英雄(左)から花束を受け取る栗山巧
小池秀郎投手から、僕はライトへプロ初ヒットを打った。
ラストチャンスで人生を変えた
次の打席で代打を出された僕にとって、いわば最後のチャンスでした。
あの1本がなければ、自分の人生はどうなっていたのだろうか。
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今でもそう思うことがあります。
自分が一軍でどれくらいやれるのかを知りたい。
僕は強く、そう思うようになっていました。
2005年、プロ4年目の年始のことです。
一軍に割って入るのは、簡単じゃない状況ではありました。
2004年のシーズンは、ライオンズの日本一で幕を閉じた。つまり、12球団で最も戦力が充実している状態にあったということです。
でも、そういう事実とは関係なく、僕は純粋に一軍でプレーをしたいと思っていた。
ただただ、3年間で培ったものを試したいと願っていました。
「恥ずかしいくらい、自分のことしか…」
そもそも「誰々がいるから出られない」と考えたことはなかった気がします。
今思えば恥ずかしいくらい、自分のことしか考えていなかった。
近い世代には、赤田(将吾)さん、高山(久)さん、大島(裕行)さんといった将来を有望視されていた高卒外野手の先輩がいました。でも、「だから一軍は難しい」と考えていたら、きっと現役生活は3年も続かなかったと思います。
周囲を気にせず、自分が納得できる取り組みを。
そういうスタンスの大切さは、当時の環境に教えてもらったように感じます。
そう考えられたのには、裏付けもありました。

