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甲子園の風BACK NUMBER
「とんでもないところに来てしまった」意外にも30年甲子園なし…元木大介・黒田博樹を輩出した大阪の雄・上宮高のいま「令和に変えるべきは変えて」
posted2026/08/18 11:00
名門・上宮高を現在率いる村田監督。1997年神宮大会優勝の記念樹と石碑の前で
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内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
Katsuharu Uchida
「上宮のユニフォームは、甲子園で本当によく映えますね」
今年5月、阪神甲子園球場で行われた審判講習会。モデル校として聖地に招かれた大阪の伝統校・上宮高野球部の選手たちを眺めながら、高野連の関係者がふと漏らした言葉だ。
胸に赤の縁取りで大きく刻まれた「上宮」の文字、そして伝統のアイボリーのユニフォーム。その洗練された佇まいは、令和の時代を迎えてもなお色あせることはない。
約30年遠ざかる聖地
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元木大介(元巨人)、黒田博樹(元広島、ヤンキースなど)をはじめ、数多のプロ野球選手を輩出。春夏通算9度の甲子園出場を誇り、春のセンバツでは1989年準優勝、1993年優勝、1997年ベスト4と、甲子園の歴史にその名を刻んできた。
しかし、その輝かしい実績の裏で、意外な事実が存在する。これほどの強豪でありながら、夏の甲子園出場は1989年の1度のみ。そして何より、1997年春を最後に、約30年もの間、甲子園の土を踏んでいないのだ。
大阪の高校野球勢力図がPL学園(2016年休部)から、大阪桐蔭、履正社の「2強」を中心に塗り替えられていく中で、かつての王者は長い沈黙を余儀なくされてきた。
上宮には専用の寮がなく、全員が大阪や奈良などの近郊から、かつて司馬遼太郎も学んだ大阪市天王寺区の校舎まで通う。放課後は電車と自転車を乗り継ぎ、約1時間をかけ、大阪南東部の上宮太子高内にある上宮学園グラウンドに移動。宮内庁が治定する天皇陵4基(30代敏達天皇陵、31代用明天皇陵、33代推古天皇陵、36代孝徳天皇陵)と聖徳太子廟を含む「磯長谷古墳群」に囲まれながら日々汗を流す。

