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甲子園の風BACK NUMBER
「とんでもないところに来てしまった」意外にも30年甲子園なし…元木大介・黒田博樹を輩出した大阪の雄・上宮高のいま「令和に変えるべきは変えて」
text by

内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byKatsuharu Uchida
posted2026/08/18 11:00
名門・上宮高を現在率いる村田監督。1997年神宮大会優勝の記念樹と石碑の前で
その伝統校の再建という重責を担い、今年4月から再び指揮をとるのが村田侑右監督だ。
村田監督自身、上宮の黄金期に魅せられた一人だ。1997年春、山田真介(元巨人など)、渡辺正人(元ロッテ)、OBで三木肇(元楽天監督)の弟である三木仁(元近鉄、オリックス)らを擁して甲子園4強入りした勇姿を、当時小学5年生になったばかりの村田少年はテレビ越しに食い入るように見つめた。
「やっぱり、あのアイボリーのユニフォームへの憧れですよね。僕らが子供の頃、甲子園で輝いていたのをずっと見ていましたから。最初は本当に憧れから入りました」
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それから、上宮に入りたい一心で必死に腕を磨いた。しかし、上宮が監督交代のタイミングで、スポーツ推薦枠を一時的に設けていなかった時期と、中3の受験期が重なってしまう。強豪校からの誘いもあったが、上宮への進学にこだわり、グラブとバットをペンに持ち替えて猛勉強。難関の一般入試を突破した。
とんでもないところに来てしまった
意気揚々と伝統校の門を叩いたが、待っていたのは圧倒されるような現実だった。
「とんでもないところに来てしまったなというのが最初の本音でした。私は中学では軟式出身で、すごい先輩方がプレーしている中でやっていけるんだろうかと、不安でいっぱいでした。夜の9時、10時まで練習して家に帰るという文化も自分にはなかった。でも、必死になればなんとか食らいついていけるものなんだと知りました」
当時の大阪は依然PL学園が強かった。PLの敷地はグラウンドの最寄り駅である喜志駅を挟んだ向こう側にある。顔見知りの同級生も何人かおり、そのライバルたちに負けまいと過酷な練習を必死で耐え抜いた。そして最高学年となった村田さんは主将、そして「4番・一塁」の重責を担う選手へと成長する。

