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審判たちの甲子園BACK NUMBER
「甲子園が揺れている」2009年“伝説の決勝”審判たちが感じていた異様な雰囲気…「下を向いている子がいない」勝ち負けを超えた「終わらない夏」の終焉
text by

安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/08/14 06:01
2009年夏の甲子園決勝、激闘を終えた中京大中京と日本文理の選手たち。勝者にも敗者にも笑顔があった
「これは、いきすぎとるぞ」弾んだファウルフライ
4点差で、なお2死三塁。4番の吉田雅俊が右打席に入る。
ただ、2球目の直球を高く打ち上げてしまう。
「終わったな」
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三塁ファウルゾーンに上がる打球の軌道を目でとらえながら、一塁塁審の長谷川次郎は思った。
ところが、三塁手がその目測を誤ってしまい、ボールは三塁ファウルゾーンに落ちて大きく弾んだ。
「えっ、堅田?」
一塁塁審・長谷川の頭にとっさに浮かんだ名前は、審判員仲間の堅田外司昭だった。
3学年下の堅田とは、春夏の甲子園大会だけでなく、大阪府高校野球連盟でも一緒に審判員として活動している。
高校野球ファンには、甲子園の伝説となっている名勝負を演じた左腕投手としても記憶されている。
1979年8月16日、第61回大会の3回戦だった。星稜(石川)のエースだった堅田は、春夏連覇を狙う箕島(和歌山)の石井毅と一歩も引かない投手戦を繰り広げた。1-1のまま延長に突入し、12回と16回に星稜が勝ち越す。そのたびに2死から同点本塁打で追いつかれ、18回にサヨナラ負けを喫した。
堅田が2度目の同点本塁打を打たれた16回。その直前にファウルフライを追った一塁手が転倒してしまうアクシデントがあった。
「試合中にそんなことを考えることはないんやが、あの時は、ふと堅田のことを思い浮かべてしまった」
長谷川は甲子園の決勝をジャッジするのはこれが6度目。同年春の選抜大会では球審も務めている。当時50歳。
塁審のときは、選手の動きがおかしくないかどうかを気にかける。
「歩くと、どうしても下を向くやろ。だから、声をかける。はつらつとプレーして欲しいから」
このとき、次第に追い込まれつつあった中京大中京だが、選手は下を向いていない。
話を日本文理が打ち上げたファウルフライに戻そう。
三塁ファウルゾーンに上がった打球を、中京大中京の三塁手・河合完治と捕手の磯村嘉孝の2人が追った。それを追うように球審の日野高と三塁塁審の野口も走っている。
最後は磯村が河合に処理を任せるジェスチャーをした。ベンチ前付近まで走ってきた河合だが、打球はその後方の三塁コーチボックスの外側で弾んだ。
「これは、いきすぎとるぞ」
三塁塁審の野口は思った。
「我々は打球を目で追うと同時に、野手と距離を保ちながら、その後ろを追っていきます。そして、途中から観客席側に開いて、捕球を確認するようにします」
確かに、球審の日野も三塁の野口も、選手と一定の距離を保ちつつ、最後は選手より観客席寄りの位置まで走り込んでいる。野口はコーチボックスの外側に打球が落ちたとき、その先の人工芝に到達していた。
「ファウル! ファウル!」
球審の日野が、両手を頭上で大きく2度開きながら、叫んだ。

