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「ブラジルでも勝てる」34歳で逝った松田直樹”規格外DF”のメンタル…JFA技術委員長が明かす“トルシエとの確執”秘話「もう途中で帰るは、ありえないぞ」

posted2026/08/15 12:01

 
「ブラジルでも勝てる」34歳で逝った松田直樹”規格外DF”のメンタル…JFA技術委員長が明かす“トルシエとの確執”秘話「もう途中で帰るは、ありえないぞ」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2011年8月4日に急逝した松田直樹さん。15年を経た今、10代の頃から見守ってきた現JFA技術委員長の山本昌邦氏が松田さんの思い出を語る

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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Asami Enomoto

 松田直樹が34歳で急逝して15年が経った。いまなお残る“規格外”のディフェンダーの記憶ーー。中田英寿とともに“飛び級”で世代代表に名を連ね世界と戦った戦士の軌跡と功績を、10代の頃から見守ってきた山本昌邦JFA技術委員長が明かす。<NumberWebインタビュー全2回の後編/前編も公開中>

ブラジルでも「勝てると思っていた」

 1995年4月、開催地がナイジェリアからカタールに変更されたワールドユース選手権(U―20ワールドカップ)に日本は1979年の自国開催以来、16年ぶり2度目の出場を果たした。チリに引き分けてスタートしたグループステージは2戦目でスペインと対戦し、ラウルに決勝点を奪われて1-2敗戦。それでもブルンジとの最終戦に2-0と快勝してグループステージ突破を決めた。この年、前橋育英から横浜マリノスに進み、開幕戦からスタメンに抜擢されるなど一気に成長のサイクルに入った松田直樹は同じく飛び級で入った中田英寿とともにチームの主軸を担った。

 準々決勝の相手は、サッカー王国のブラジル。普段、Jリーグでレオナルド、ジョルジーニョら現役ブラジル代表と対戦していたこともあって、のちに松田から「ブラジルといっても同じ世代なんだから、やりようによっては勝てると思っていた」と聞いたことがある。ひるむどころか、闘争心を高めていた。

 前半に奥大介のミドルシュートで先制したが、カイオに2点を奪われて折り返す。後半に入るとブラジルはリスクを冒さずにリードを守り、日本にチャンスをつくらせない。終盤は松田が前線に上がってパワープレーに出る。ペナルティーエリア内で後ろから倒されてファウルを猛烈にアピールしたが、認められなかった。1-2で涙をのんだ。

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 当時、チームのコーチを務めた山本昌邦JFA技術委員長は、松田に頼もしさを感じていた。

「分析してもブラジルはやっぱり強いです。選手のみんなもそう認識していたし、ただ直樹が言ったように、絶対に勝てないわけじゃない。ゲームプランは前半ゼロゼロで乗り切って、後半に1点獲って逃げ切ろう、と。大介の凄いゴールが決まって先制したとはいえ(前半のうちに)勝ち越されてしまい、焦らせる展開をつくれなかった。

 終盤、直樹を使ってパワープレーに出るというのもプランにありました。どんな相手であろうとも萎縮することはなかったし、“俺が何とかしてやる”というマインドを前面に押し出してくれるから本当に頼もしい。相手が強ければ強いほどそうなる。国際舞台で強みを発揮するメンタリティの持ち主でした。気持ちは上がって感情はたかぶるけど、頭のなかはクールにプレーできる選手なんですよ。ワールドユースでも、それは感じたこと」

松田は「何よりメンタルが規格外だった」

 自国開催以外では初めてのワールドユースでベスト8。強豪ブラジルを苦しめるまでには至らなかったとはいえ、この経験が翌年に起こる“マイアミの奇跡”につながる。

【次ページ】 トルシエ監督との“確執”

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