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「ブラジルでも勝てる」34歳で逝った松田直樹”規格外DF”のメンタル…JFA技術委員長が明かす“トルシエとの確執”秘話「もう途中で帰るは、ありえないぞ」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byAsami Enomoto

posted2026/08/15 12:01

「ブラジルでも勝てる」34歳で逝った松田直樹”規格外DF”のメンタル…JFA技術委員長が明かす“トルシエとの確執”秘話「もう途中で帰るは、ありえないぞ」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2011年8月4日に急逝した松田直樹さん。15年を経た今、10代の頃から見守ってきた現JFA技術委員長の山本昌邦氏が松田さんの思い出を語る

 松田は飛び級でアトランタオリンピック代表メンバーに入りを果たし、迎えたブラジルとのグループステージ初戦。1996年7月21日、オレンジ・ボウル。右ストッパーに入って2トップのサビオと対峙する。すばしっこい左利きのサビオに抜かれる場面はあったものの、時間が経過するにつれて封じ込んでいく。後半の勝負どころで投入された怪物ロナウドのテクニックに衝撃を覚えながらも、何とか食らいついて決定的な仕事をさせなかった。左サイドバックのロベルト・カルロスを含めてスカウティングの映像を嫌というほど見ていたとあって、イメージを膨らませることができたのも大きかった。

 山本は言う。

「昔は今と違ってビデオデッキを使って(分析の)映像をつくるので時間が掛かります。だから相手のキーマンとなる選手をピックアップして、全体の食事会場や個人でも見てもらっていました。このときも彼には『途中からロナウドが入ってくるぞ。頼んだぞ』と伝えていました。彼は向かっていく気持ち、強い相手を上回ってやろうという気持ちが強いので、萎縮するんじゃなくて、逆にモチベーションが上がっていました。恵まれた体格、フィジカルもそうですけど、何よりメンタルが規格外ではありました。

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 それもこれも経験があってこそだとは思います。U―17、U―20で世界の舞台を経験してワールドユースでブラジルと実際にやりやった肌感もある。経験値がプレーの予測につながるから、対応できる。そのことがまた成長を呼び込むというサイクルでした」

 壁を一つ乗り越えたら、また新たな壁が出てくる。

 またしてもヌワンコ・カヌのいるナイジェリアに敗れ、2勝1敗で大会を去らなければならなかった。

トルシエ監督との“確執”

 松田と日本代表を語るにおいて、外せないのがフィリップ・トルシエ監督である。

 A代表とシドニーオリンピックを目指すU―21代表を兼任する彼の目に留まるのは、自然の成り行きだった。1998年11月にU-21日本代表の合宿メンバーに呼ばれたものの、アルゼンチンとの親善試合ではベンチを温めた。フラット3の細かい決めごとや自身の扱いに不満を隠さなかった彼は、トルシエに呼び出されて「君がいるとチームのためにならない。離れてくれ」と“追放”されてしまうのだ。

 こうなると再招集の道は難しくなる。それでもトルシエはマリノスでの活躍を評価して1999年9月の韓国遠征でセカンドチャンスを与えるも、松田は指揮官に伝えて韓国から次の遠征先のドイツに向かわずに帰国する。トルシエからの「もう代表には呼ばれなくなるぞ」との忠告も聞かずに。

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