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「もう1回は起こせない」けど…“甲子園初出場”有明が起こした「土壇場の逆転劇」は偶然じゃない!? 気鋭の監督が語った「人とのつながり」の重要性
posted2026/08/13 11:03
春夏通じて初の甲子園出場となった熊本・有明高校を率いる高見一茂監督。さまざまな「人の縁」が初戦の逆転劇を生んだと語る
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田口元義Genki Taguchi
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Genki Taguchi
熊本出身の高見一茂は、翔陽から崇城大へと進み、4年春の大学日本選手権で神宮球場のマウンドにも上がった。大会が終わり高校の恩師のもとへあいさつに向かうと「お前は教師になったほうがいい」と、道を示された。
大学を卒業後、熊本県の常勤講師として球磨工に赴任。教師と指導者人生をスタートさせた。そこで得た経験や人脈を通じて「野球で結果を残したい」と、目標設定を固められたころに声をかけられたのが有明だった。
師は甲子園“初出場で初優勝”の名伯楽
2年ほど迷ったなか、決め手となったのは同校の監督に就任して間もない濱田宏美の存在があったという。1976年の夏、初出場の桜美林を率い初優勝へと導いた男の存在が、高見の胸を躍らせたのである。
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「(夏の)甲子園で優勝したことがない熊本に日本一を経験する指導者がいる。『どういうことを教えるんだろう?』と興味を持ったんです」
球磨工での5年を経て有明のコーチとなった高見が濱田から影響を受けたものこそ、人とのつながりだった。
有明に赴任ししばらくすると、濱田のつながりで他校へ“研修”へ向かうようになった。
桜美林の日本一メンバーのキャプテンで、母校を指導していた片桐幸宏。エースだった松本吉啓が監督として2004年夏、甲子園初出場でベスト4と躍進させた千葉経大附にも「旬の学校だから行け」と言われ、足を運んだ。ピッチャー育成に定評がある松本のもとで学ぶ。4強入りした08年のセンバツでエースだった斎藤圭祐ら選手と寝食を共にしながら、強豪のエキスを吸収していった。

