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PL学園「伝説の名将の孫」が佐野日大で“甲子園初勝利”…“実はPL野球部出身”実父が語った最強軍団「衝撃の記憶」と「愛息への想い」
posted2026/08/12 11:02
甲子園球場の名物ともなったPL学園応援団の人文字。黄金期の最強軍団を率いた中村順司監督の孫・盛汰は佐野日大主将として甲子園に挑んでいる
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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JIJI PRESS
鮮やかな放物線が、一塁側スタンドから仰ぎ見る男の目の前を通過した。
「いやぁ、こういうことってあるんですねぇ」と、中村猛安は野球が織りなすシナリオの重厚さに嘆息を漏らした。
栃木大会決勝、延長10回タイブレーク。佐野日大は2アウト三塁から小島颯人がライトスタンドへ逆転サヨナラ2ランを放ち、春のセンバツに続いて甲子園出場を決めた。ホームベースに殺到するチームメートの輪のなかには、キャプテンの中村盛汰もいた。
「監督の息子」でも…特別扱いはなし
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盛汰の祖父は、あの中村順司である。PL学園を春夏計6度の日本一へと導き、甲子園通算58勝を記録した名将。桑田真澄、清原和博をはじめ数多くの名選手を輩出した名伯楽だ。
父・猛安もまた「PLの子」だ。
1979年にPL病院で生まれ、幼稚園・小学校・中学校と系列校を歩み、実力でPL学園野球部の狭き門を突破した。高校進学後は、父とは「選手と監督」の関係に徹し、他の部員と同じ厳しい日々を過ごした。
PL学園に根付く“付き人制度”では、猛安は小林亮寛とともに、当時「高校ナンバーワン野手」と称された福留孝介に付くこととなった。
「人前で努力を見せなかった先輩は、ユニフォームの汚れも少なかった。泥をしっかり落とすのが靴下くらいだったんで」と、猛安は笑いながら振り返る。
自主練習ではバッティングピッチャーを頼まれることもあり、そのたびに福留からアドバイスをもらったという。
偉大な父を持つからこそ、猛安は盛汰の心中を静かに探る。
「麦倉(洋一)監督をはじめとした指導者の方たちから指導を受けて自分がいると、本人もわかっているでしょうから、気を遣っているとは思いますね」
かつての最強軍団の裏側で、猛安が目撃したものは何だったのか。そして愛息・盛汰への想いの深層は――本編インタビューでさらに詳しく語られている。
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
