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「部活の体を成していない」練習は閑散、熱血指導は空回り…弱小だった“偏差値78”「関西の超進学校」ハンドボール部が強豪になった“奇跡の軌跡”
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別府響Hibiki Beppu
photograph byShiro Miyake
posted2026/08/05 11:01
今夏のインターハイへの出場を決めた東大寺学園ハンドボール部。現監督が就任した約20年前は、今とは全く違う雰囲気だったという
明らかに部員たちの表情が違う。しかも、いつもより動きも良く見える。これがモチベーションの差なのか――?
どう見ても、この路線を踏襲するのが正解だった。
そこからは安井も「部員が楽しめるトレーニング」に力を入れるようになったという。また、同時に銘苅をはじめとした日本トップクラスの選手になるべく練習に来てもらう機会を増やそうとした。
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「もともと特に中高生の時は一流に触れる機会がないともったいないとは思っていたんです。銘苅さんの時に気付きましたけど、同じことを僕が言うのとトップ選手が言うのとでは、全然重みが違う(笑)。それだけでも部員のモチベーションが変わるんだなと」
そうして安井が赴任して6年目の2012年度に中学チームが全国大会へ出場。その世代の生徒たちが高校に上がった2014年に新人大会で県を制するなど、現在の強豪に至る礎を築いていった。
練習スタイルを改善し、中学・高校ともに一定の成果は出すことができた。
その一方で、最も注目が集まる舞台であるインターハイに辿り着くまでには、もうひとつ東大寺学園特有の大きな課題が立ちはだかった。
それは、チームに基本的に3年生がいないということだった。
高かった「インターハイ出場」という壁
通常、高校生のチームであれば3年生が最終学年となり、チームの核となるケースがほとんどだ。それに対し当時の東大寺学園の場合、基本的に3年目は受験に専念するため部活を続ける選手がいなかったのだ。
「やっぱり2年生主体で3年生のチームと戦うという壁はかなり高かったです。高校生年代での1年の差というのはすごく大きい。技術的にはインターハイに出られる可能性があった代でも、結局体力面が追いつかなくて最後に負けてしまう……というようなことが多かったです」
その“高い壁”を壊したのは、「科学の力でしたね」と安井は振り返る。
「シンプルに中学生の最初の頃から栄養士さんに来てもらって身体づくりをちゃんとやるようにしました。野球やサッカーなら当然でしょうけど、ハンドボール界ではそこまでちゃんとやっているチームは、当時はそう多くはなかった。トレーナーさんにも不定期ですけど来てもらって、早いうちからしっかりフィジカル面も鍛えるようにしたんです」

