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プロ野球PRESSBACK NUMBER
“優勝胴上げを無視”“ボールをシュートして降板”吉井理人、近鉄時代の悪童伝説…「態度、悪いですよね」若かりし日の情熱と後悔とは
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byTakahiro Kohara
posted2026/06/30 11:01
野茂英雄(右)と談笑する近鉄時代の吉井理人(左)。現役時代の逸話を語った
あれで気持ちが切れました
「もう、あれであのシーズンは気持ちが切れました。そんなんしたから、トレードに出されたんやと思います」
吉井は“キック降板”から帰阪した翌27日、出場選手登録を抹消されると、その後、1軍へ戻って来ることはなかった。そして翌95年の開幕直前となる3月20日、西村龍次との交換トレードでヤクルトへ移籍することになる。
今の時代で言うところの「アンガー・マネジメント」に関わるところで、吉井の直情径行な行動が物議を醸したのは、実はこの時のことだけではなかった。
胴上げ投手に送り出してもらえず……
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監督・仰木彬のもと、近鉄がパ・リーグ優勝した1989年のことだ。
吉井はその前年の88年、10勝24セーブで最優秀救援投手賞。89年にも5勝20セーブと、猛牛の守護神としての地位を確立していた存在でもあった。
最後に、試合を締めくくる。その重圧に耐え、チームを優勝に導いた。その功労と、優勝への“最後の1勝”も、いつも通りに締めくくるという意味合いから、胴上げ投手は「ストッパー」が務めるというのも、これまた球界の不文律でもある。
ところが、これで優勝という、まさしく晴れのマウンドに仰木が送り出したのは、吉井ではなく、阿波野秀幸だった。
前年の「10・19」、伝説のダブルヘッダーで2試合とも救援のマウンドに立ちながら、勝てば優勝というその2試合目に同点本塁打を浴びてしまい、延長10回までもつれ込んでの引き分け。阿波野にとっては、そのリベンジの意味合いもあるだろう。3年連続200イニング以上を投げた左腕には、まさに粉骨砕身の言葉がふさわしい。
阿波野がいたから、1989年の近鉄は優勝できたともいえる。だから“胴上げ投手”は阿波野で、という仰木の気持ちも分かる。しかし、1年間ストッパーを務めてきた吉井にすれば、プライドが傷つく采配だ。もう、我慢ならない。

