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「W杯はなんとなく静かに過ぎていった」ピッチに立てず→次大会は負傷落選の伊東輝悦が見たW杯のリアル「三笘薫や遠藤航の気持ちはわかる」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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posted2026/06/19 17:02

「W杯はなんとなく静かに過ぎていった」ピッチに立てず→次大会は負傷落選の伊東輝悦が見たW杯のリアル「三笘薫や遠藤航の気持ちはわかる」<Number Web> photograph by AFLO

1998年フランス大会はメンバー入りも出場がなく、2002年日韓大会は負傷で落選となった名ボランチ伊東輝悦に話を聞いた

 伊東が3バック用のボランチとして予定されていたのは、当時、所属する清水エスパルスで3バックのボランチとしてプレーしていたからでもある。ボランチというよりも当時で言うディフェンシブハーフとしての役割を、3バックのチームで岡田監督は求めた。

 しかし、日本の中盤の底には山口素弘と名波浩が鎮座していた。最終予選以来、チームメイトや監督の信頼度が非常に高いふたりである。そのせいか、伊東は結局、フォーメーションが3バックになってもスタメンに入ることはなかった。

「ふたりと同じことを求められているとは思わなかったので、自分に求められていることを出していければと思っていたのですが、やはりふたりは高い壁でした。ふたりでゲームをうまくコントロールしていましたし、そこに割って入るのは大変だな、とシンプルに思いました。それでも、やっぱりピッチに立ちたい気持ちは強かったです」

最後まで名前が呼ばれることはなかった

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 だが、なかなかチャンスは訪れなかった。

 フランスW杯3戦目のジャマイカ戦も、出場できるような雰囲気はほとんど感じられなかった。相手に2点を先行されたなかで、守備的なボランチの伊東が呼ばれる可能性はほぼ皆無だった。

「試合展開から自分が出るのは難しいと思っていました。選手としては試合に出たい気持ちがありましたけど、やっぱりチームの勝利が最優先なので、攻撃の選手が入るのは当然。ただ、いつ呼ばれても自分を表現できるように、準備だけはしていました」

 しかし、最後まで伊東の名前が呼ばれることはなかった。フランスW杯のフィールドプレーヤーでは伊東、齊藤俊秀、服部年宏の3名の選手が出場時間ゼロに終わった。86年メキシコ大会でマラドーナの活躍を見た時、「すげぇな」と思い、W杯が憧れになった。その夢の舞台に立てるチャンスは得たが、あと少し届かなかった。

【次ページ】 トルシエ監督から「アウトサイドでやってくれ」

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