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「こんなデータは見たことが」日本代表MFの体力をドイツ監督ベタボメ「英語学びたくて…お酒は飲まないですけど」「疲労は来なかったです」24歳の素顔 

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ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph byTadashi Hosoda

posted2026/06/21 06:02

「こんなデータは見たことが」日本代表MFの体力をドイツ監督ベタボメ「英語学びたくて…お酒は飲まないですけど」「疲労は来なかったです」24歳の素顔<Number Web> photograph by Tadashi Hosoda

W杯日本代表に合流前、インタビューに応じてくれた際の鈴木唯人

「フランスでの経験があったから、デンマークに行ったときに、英語を話せるようにならないといけないと思いました。言葉がわからないと、コーチの指示を聞けないし、自分の意志も伝えられない。そういうところは、経験の積み重ねですね」

 学習方法も、彼らしいものだった。家庭教師からのスパルタ教育を受けるのではなく、「いろいろな友達を作るようにして」生きた英語を学ぶことにしたのだ。

「デンマークで育った日本人の友達がいて、その子が現地の大学生とか、普通に働いている人たちと仲が良かったので。お酒は飲まないですけど、彼らと一緒にバーへ行ったり、ダーツで遊んだり。最初のうちはもちろん話せなかったですけど、半年、1年、1年半と経つうちに、ある程度しゃべれるようになっていました。単純に、英語を話せるようになりたかったし、向こうの人たちと普通に友達になったり、生活を楽しみたかったんですよね」

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 だから、デンマークからドイツへと国をまたいだ移籍を経ても、交友関係は続いていく。

「あのときできた友達は、たまにフライブルクまで遊びに来てくれたりもしますから」

でも、仕方がないじゃないですか?

「線が細い」という指摘への向き合い方も、独特だった。

「線が細いと言われても、(球際で)負けているとは、全く思っていなかったんです。やることはやっているつもりだったので。それに、強い相手とずっと強度高く戦っていけば、体が自然に適応してくるだろうと考えていたので。環境に飛び込んでしまえば、人間は慣れるんじゃないかなと」

 デンマークでの2シーズン目を迎える際にも、学びを得る出来事があった。移籍の可能性があるなかで、クラブの方針もありパリ五輪への出場をあきらめるしかなかった。にもかかわらず、肝心の移籍がまとまらなかったのだ。

「正直、『もう1年、マジで、ここでやるのか』という感覚でした。でも、仕方がないじゃないですか?」

結局、その環境に飛び込んでみないと

 落ち込む代わりに、彼は次の準備を始めた。

「次の年には絶対に移籍したかったので、試合のことだけを考えるのではなく、とにかく筋トレをやって、身体を次のリーグ仕様にしていこうと考えながらやっていました」

 もっとも、この話には、彼らしい続きがある。

【次ページ】 W杯まで1年しかなくてもやり続けるしかない

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