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「阿部慎之助スキャンダル」で急遽就任…初の“外様指揮官”橋上秀樹監督代行って何者? 元スカウトが語っていた“意外な記憶”「オッと思ったのは…」
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安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKiichi Matsumoto
posted2026/05/29 17:00
阿部慎之助前監督の退任で急遽、監督代行の座に就くことになった橋上秀樹氏。巨人在籍経験のない「外様」指揮官は史上初
「武上(四郎、当時・監督)さんの何年目かでな……最下位も続いていて、ドラフトがそんなありさまやから、若手も足らへん。飛ばせる若いのもいてへんから、2位で池山は早くから決めとった。渋井がこっちのほう(打つ格好して)さっぱりやったからな。池山は、体は強いし、ケガせんし、肩もバネも抜群やった」
片岡さんは、池山選手の話をするのが好きだった。
ご自身が大阪出身で長く関西地区を担当されていて、思い入れも強かったのだろう。
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スカウトとして長く活躍されたにもかかわらず、『プロ野球スカウトの眼はすべて「節穴」である』というタイトルで著作を出されたり、「人が人の将来を見抜くなんて出来るのか!」という趣旨の発言もためらいなくされていた方だったが、そんな中で、「オレの最高傑作は池山と、伊藤智人(投手、92年1位・三菱自動車京都)や」と言いきることがあった。
池山現ヤクルト監督に次ぐ「ドラ3指名」
その池山選手がドラフト2位でヤクルト、近鉄、巨人に指名され、抽選でヤクルトが交渉権を得た1983年、池山選手の次に3位指名されたのが、安田学園高(東京)・橋上秀樹捕手であった。
子供の頃、大相撲を見によく連れて行ってもらった昔の「蔵前国技館」の向かい側にある高校なのを知っていただけで、自分の住んでいる東京の高校なのに、3位指名されるほど「逸材捕手・橋上秀樹」の存在を知らなかったので「池山ばなし」の折りに訊いてみたことがあった。
当時、「東京」は片岡さんの担当ではなかったが、片岡さんが現役時代に捕手だったので、一度見に行くように言われたそうだ。
「千葉の習志野の、もっと奥のほうのグラウンドでな。近所に自衛隊があって、たまに、落下傘で降りてくるのが見えるとか言うてたなぁ。監督さんか誰かが」
自分の車で行ったら道が難しかった、と笑っていた。
20世紀の終わり頃だ。ナビもまだ普及していなかったのだろう。

