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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「王さんみたいに三かん王をとりたい」夢見る少年だった城島健司が今実感する王貞治の凄み「王さんは“一人何役”もやって強いホークスを築いた」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byHideki Sugiyama
posted2026/05/23 17:02
現在はCBOを務める城島(左)は、小学生時代から王(右)に憧れ続けてきた
王との縁に導かれるように
そうした数々の“縁”に導かれたかのように、城島は王の監督就任直後のダイエーに入団し、プロ野球選手としての実績を積み重ねていく。プロ3年目の1997年に正捕手に定着すると、1999年には福岡への本拠地移転後初の優勝と日本一を経験、2000年には長嶋巨人との日本シリーズ、昭和の2大スターが監督として相まみえる「ON決戦」の舞台にも立った。FA権を行使して2006年にメジャーのシアトル・マリナーズへ移籍し、日本人捕手初のメジャーリーガーとして4年間活躍。輝かしい栄光とともにある18年間のプロ生活のうち、ホークスでの11年間は「監督・王貞治」とともにあった。
その王から「そろそろ、戻ってきなさい」と“勧告”されると、2020年に「会長付特別アドバイザー」としてフロント入り。2025年からは、新設されたチーフ・ベースボール・オフィサーに就任。編成部門のトップとして、1軍から4軍の選手を管理し、指導方針をマネジメントする「コーディネーター」を束ね、1軍監督で現役時代に城島とともに王の元でプレーした小久保裕紀との二人三脚で、チーム作りの先頭に立っている。
いま改めて実感する、王貞治のすごさ
城島は、フロントの要職を務めるようになって「改めて、王貞治はすごいと思った」と実感する日々なのだという。
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「90年代の頃、ダイエーで一番知名度があったのは監督じゃないですか。それじゃいけないと、王監督は僕らに『東京で私服で歩いていても、名前を呼んでもらえるようになりなさい』『NHKできょうは中継があるから、全国の人に顔を知ってもらうぞ』って、試合前のミーティングでも言っていたんです。
当時の監督は僕の今の仕事をしながら、GMの役割もやって、何なら今の柳田(悠岐)みたいな、スターとしての広報活動もしなきゃいけなかった。一人何役もやっていた王貞治のことを、改めて僕は、現役を辞めてまたここへ戻って来て、その偉大さを感じているんです」
ホークスは南海時代の1978年から20年連続Bクラス。王ダイエー4年目の1998年にAクラス・3位になると、そこから2025年までの28シーズンで、リーグ優勝11回、日本一10回、Bクラスに落ちたのは、わずか3シーズンしかない。

