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「中谷潤人にはパンチ力がない」対戦者が抱いた“錯覚”「アッパーを300発もらいました」“大谷翔平をベンチで見つめた”元高校球児が中谷に負けた日 

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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photograph byHiroaki Finito Yamaguchi

posted2026/05/01 11:06

「中谷潤人にはパンチ力がない」対戦者が抱いた“錯覚”「アッパーを300発もらいました」“大谷翔平をベンチで見つめた”元高校球児が中谷に負けた日<Number Web> photograph by Hiroaki Finito Yamaguchi

2019年2月2日、後楽園ホールで行われた日本フライ級王座決定戦。望月直樹は奮闘及ばず、中谷潤人に9回TKOで敗れた

「プロ野球選手になって、親に楽をさせたいんだ」

 1994年1月、横浜に生まれ、小学2年生から野球を始めた。軟式の少年野球チームで出会ったのが、のちにプロ野球の日本ハム、オリックスで通算254試合登板する井口和朋だった。

 母が望月の幼少期を振り返る。

「体は小さかったけど、大きい子に向かっていくような子でした。気が強くて、いじめっ子にも『やめろよ!』と言える子でした」

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 中学に入ると、井口から硬式野球チーム「横浜都筑ボーイズ」に誘われた。チームの人数は少なかったものの、井口がマウンドに立ち、望月はセカンド、ショート、サードといった内野を守った。打順は1番か2番で、気合いと根性では誰にも負けない。ガッツ溢れるプレーで、強豪チームを撃破することもあった。

 外から見れば、絵に描いたような野球少年。しかし内心では、野球を楽しいと思ったことはなかった。自分でもよくわからないまま野球に打ち込んでいた。

 そんな「ガッツマン」に福島県の学法福島高から推薦入学の話が舞い込んできた。野球留学となれば、寮で3年間過ごすことになる。望月は福島に行きたがったが、父・基樹は反対した。まだ15歳。親元を離れての生活は、それ相応の覚悟と大きな目標がなければ務まらないことを知っていた。学校見学で福島を訪れた後も、しばらく話し合いが続いた。

「なんのために行くんだ?」

 父の問いかけに、望月は四畳半の部屋で正座をして、泣きながら頭を下げて訴えた。

「甲子園に行って、プロ野球選手になって、親に楽をさせたいんだ」

 父は渋々受け入れ、学法福島への入学が決まった。

 母が当時を回想し、しみじみ言った。

「それは考えましたよ。何度も話し合って、すごく長いトンネルだった気がします。直樹は第一子で親としても免疫がないし、周りに野球留学した人もいなかった。直樹には言っていないけど、父さんは3年間、出勤前に必ず自宅近くの神社に行って『直樹が無事に過ごせますように』とお参りをしていたんです」

 父は毎朝参拝し、学費と寮費を捻出するため、昼食はおにぎり1個で過ごしていた。

【次ページ】 「大谷はやばいぞ」東北大会で知った怪物1年生

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