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「阪神は強いけど、さすがに息の根を止めたと」中日・山本昌が明かす41歳ノーノーの舞台ウラ…阪神・岡田監督は「ノーヒットノーランなんかどうでもええねん」
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熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2026/05/20 11:03
2006年シーズンに投手陣の主力として活躍した中日・山本昌は9月16日の阪神戦でノーヒットノーランを達成した
岡田監督の懐刀として、阪神での第1期政権、さらにはオリックス・バファローズでも打撃コーチを務めた正田耕三が、敗戦後のやりとりを明かす。
「正田な、ノーヒットノーランなんかどうでもええねん。負けは負けや。0-3も3-4も一緒やないか。なんなら完封負けのほうがええくらいや」
真意がわからず、ぽかんとする正田に監督はこう続けた。
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「おまえな、3試合も続けて完封されるわけないやろ。明日は必ず打つわ」
岡田にとって、落合中日はだれよりも負けたくない宿敵だった。
「ヤクルト、横浜に負けても怒らないのに、中日に負けると不機嫌になる」と正田は語るが、その背景には、過去の遺恨がある。
岡田が日本プロ野球選手会会長を務めていた1993年、落合がFA権行使第1号のひとりとなったからだ。選手会が苦労して獲得した権利を、方向性のちがいから脱会した選手が行使する。このときの岡田の憤慨ぶりは、球界でも広く知られている。
落合中日と岡田阪神の戦い。それは1点を争う緊迫した戦いの中で、虚々実々の駆け引きがくり広げられることから「キツネとタヌキの化かし合い」と呼ばれた。
就任当初は感情を表わす場面も見られた落合だが、次第に表情は消え、やがて能面と化す。そんな落合中日との戦いを、正田は「動かない石を動かそうとする」と表現した。ベンチの奥で無表情を装う敵将を凝視し、そのかすかな変化から勝機をたぐり寄せるのだ。遺恨はありながらも、裏の裏まで探り合う落合との対戦を、岡田は楽しんでもいたという。
大一番でコーチも身震いするような体験
JFKを確立し、手堅い野球を展開した岡田は記憶力にすぐれ、ミーティング中にメモをとっていた正田を「なにメモしてんねん! やってる感を出すな!」と叱りつけたこともある。そんな指揮官は、特異な勝負勘の持ち主でもあった。
岡田の“予言”どおり、鬼門ナゴヤドームでの第3ラウンドは、阪神が2-0でようやく勝った。敵地初勝利によって呪縛から解き放たれたかのように、チームは一気に波に乗った。もともと岡田は「勝負は9月」が口癖で、JFKをところどころで休ませるのも、負け試合で控え野手に打席を与えるのも、すべては秋に加速するための布石。ノーヒットノーランの翌日から8連勝して迎えた、本拠地甲子園での首位中日との最後の3連戦。両軍のゲーム差は3に縮まっていた。
この3連戦の初戦、シーズン大詰めの9月29日の大一番で正田は身震いするような体験をした。
1-0で迎えた終盤の7回、正田は相手投手、川上をカモにしていた林威助に代打の準備をさせていた。やがて満塁の絶好機が訪れ、林を送り出そうとしたところ、岡田から鋭い声が飛んだ。
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