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2008年の岡田彰布監督“ラストゲーム”で阪神ナインが号泣した理由…“代打の神様”桧山進次郎が明かす確信めいた予感「岡田さんは出し惜しみを一番嫌う」
posted2026/05/19 17:01
2008年のCS第1ステージで阪神は中日に敗れ、岡田彰布監督と選手たちは涙した
text by

佐井陽介Yosuke Sai
photograph by
SANKEI SHIMBUN
発売中のNumber1142・1143号に掲載の[第1次政権ラストゲーム]岡田彰布「教え子と涙を分かち合った夜」より内容を一部抜粋してお届けします。
39歳ベテラン打者の“確信めいた予感”
動くか、否か。
指揮官の決断に京セラドーム大阪の観客3万人超がどよめく十数分前、男はすでに一塁側ベンチ裏の打撃練習用スペースで準備を整え終えていた。コーチから出番を告げられるよりも先にバットを握り直すと、無人の室内通路を進みだした。
8回表を終了した時点でスコアは0-0。阪神先発の岩田稔は101球を投げ、中日打線に1安打しか許していなかった。8回裏は9番・投手に打席が回る。続投させるのか、それとも代打を送るのか。
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監督は必ず勝負を懸ける――。
39歳のベテラン打者には確信めいた予感があった。
「岡田さんは出し惜しみを一番嫌う。ましてや、あの時代はブルペンにジェフ・ウィリアムス、久保田智之、そして藤川球児の『JFK』がいたわけだから」
1死走者なし。張り詰めた空気が漂うグラウンドに「代打の神様」の名前がアナウンスされた。
まだ終わらせるわけにはいかない。
割れんばかりの大歓声をBGMに、桧山進次郎は左打席へ歩き始めた。
岡田監督辞任に桧山が感じた「世の不条理」
2008年、10月20日。阪神と中日のクライマックスシリーズ(CS)第1ステージは1勝1敗で最終の第3戦を迎えていた。大挙した報道陣は皆、岡田彰布監督の一挙手一投足に目を光らせていた。
9日前の11日、岡田は横浜戦を控えた横浜スタジアムの三塁側ロッカールームで突如、ナインに辞意を伝えていた。一時は13ゲーム差をつけていた巨人に大逆転優勝を許してから一夜明け、球史に残るV逸の責任を取った形だった。
すでに続投が内定していたタイミングでの急転辞任である。桧山は他の仲間たちと同様に驚愕し、胸を痛めた。
巷では守護神の藤川、正捕手の矢野燿大、FA加入1年目の3番・新井貴浩が8月の大半を北京五輪に費やしたこと、さらに新井が五輪後も腰椎の疲労骨折で9月末まで離脱したことの2点が、大失速の主な要因とされた。桧山はそんな分析を見聞きするたび、悔しさを募らせていた。
「タイガースは確かに7月頃にピークを迎えていた。とはいっても、8月以降も『ここから5割で行ければ』という段階でやるべきことをやれていたし、油断していたわけでもなかったので」
阪神は8、9月の2カ月間で貯金を2しか減らしていない。一方、巨人との直接対決では8月末から10月まで7連敗を喫していた。客観的に見れば、9月に1分けを挟んで12連勝を飾った巨人の驚異的な猛追を称えるしかない。それなのに、岡田は矢面に立って職を辞す。桧山は世の不条理を感じずにはいられなかった。
京都府生まれで生粋の虎党だった桧山にとって、バックスクリーン3連発の当事者でもある岡田彰布は最初、雲の上の存在だった。阪神入団1年目の1992年3月、オープン戦の遠征先だった福岡で初めて食事に誘われた。極度の緊張で自分から言葉を発することができず、話を振られても反応するだけで精一杯だった。

