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甲子園の風BACK NUMBER
沖縄尚学の誤算“センバツ初戦敗退”は必然だったのか? エース末吉良丞の復活、新垣有絃への必勝リレー「それでも勝てなかった」夏の甲子園覇者の現状
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/03/28 17:02
センバツ1回戦で帝京に敗れた沖縄尚学。8回途中で逆転され新垣有絃にマウンドを託す末吉良丞
「マウンドを降りて泣いたことも」少年時代の素顔
そもそも末吉のポテンシャルは入学時から群を抜いていた。
1年生の末吉のキャッチボールの相手を務めていた2学年上のピッチャーの伊江柊真が、その第一印象を語ってくれた。
「入学前から中学での逸材ぶりは聞いていましたから、どんなやつかと興味はありました。物怖じしないのはもちろん、とにかく球の伸び、強さが最初から群を抜いていました。この時点で、末吉と入れ違いで卒業した東恩納(蒼/中央大)さんと同等の力があると感じましたね」
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小学校高学年時代は仲西ビクトリーベースボールクラブの監督として、中学時代は外部コーチとして末吉を指導してきた玉城優一は、末吉の成長を間近で見たひとりだった。玉城はこう証言する。
「練習試合では何度も140kmを超える球を球審として体感しました。中学の公式戦で145kmを投げたとき、あらためて凄みを感じました。ただ、小学校のときはコントロールを乱してよく自滅していました。“俺が、俺が”という責任感が強すぎるせいかマウンドを降りてから泣いたこともあり、一度キャッチャーに転向させたことがあります。キャッチャーの視点で、ピッチャーや野手の気持ちをわからせるための措置でした」
中学時代に145kmを投げた末吉の大器ぶりは、県内の関係者の間に知れ渡っていた。
1年夏からベンチ入りし、秋の大会からはエースとして君臨。秋の神宮大会、昨春のセンバツでも大舞台を経験している。最後にKOされたのは2025年のセンバツ2回戦の横浜戦(7回5失点)。それ以来、ただの一度として“滅多打ち”を食らっていない。
その後、夏の甲子園で頂点に立った末吉だったが、先述した通り秋以降はコンディションが明らかに落ちていた。がむしゃらに練習に励んでも、スピードや球のキレが戻らない。
数字として結果が出ていても、球の質が変わっていることへのジレンマが募る。以前の自分を取り戻そうと意識すればするほど、迷宮に陥る。一時期は本来のフォームまで見失ってしまうほどだったという。復調の手がかりをつかんだのは冬場のことだった。溜まった疲労を取り除いたうえで原点に立ち返ることを意識し、フォームの修正とともに肩甲骨や股関節を鍛え直していくことで、徐々に感覚が蘇っていった。

