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じつは“金・銀メダリストに勝っていた”フォルティウスが苦しみ涙した五輪…ねぎらった小笠原歩コーチの思い「メンバーが替わっても感謝を」 

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石川仁美(Number編集部)

石川仁美(Number編集部)Hitomi Ishikawa

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photograph byTsutomu Kishimoto/JMPA

posted2026/02/24 17:02

じつは“金・銀メダリストに勝っていた”フォルティウスが苦しみ涙した五輪…ねぎらった小笠原歩コーチの思い「メンバーが替わっても感謝を」<Number Web> photograph by Tsutomu Kishimoto/JMPA

フォルティウスにとって初の五輪は苦いものになった。しかし今大会を含めて金・銀メダリストに勝利した実績を持つのは事実だ

「20年ぶりにイタリアに戻るんだということに最近気づいて。トリノオリンピックは、日本のカーリング界にとっても忘れられない出来事でした」

 これだけでも小笠原とオリンピックの縁を十分に感じさせるが、今回のミラノ・コルティナ大会はそれだけではない。過去3度のオリンピックを共にした船山弓枝と組んで、古巣である女子日本代表となったフォルティウスのコーチを務めた。しかも、「フォルティウス」の名付け親は小笠原なのだ。

 話はソルトレーク五輪の直後までさかのぼる。

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 競技を継続するために拠点を北海道から青森に移した2003年、オリンピックに出場したシムソンズに代わる新たなチーム名を何にするか悩んでいた時に見つけた言葉が「フォルティウス」だった。

「JOC(日本オリンピック委員会)から送られてきたソルトレークシティオリンピックの報告書に、五輪の標語である『より速く、より高く、より強く(Citius、Altius、Fortius)』というラテン語が書いてありました。その時にフォルティウス(より強く)という言葉がパッと目に入ってきて。私たちはオリンピックを目指すチームなので『これだ!』って思ったんです。一緒に青森に引っ越してきていた船山さんに相談して決めました」

メンバーは替わっても…感謝を

 こうして生まれたフォルティウスはその後、チーム青森として日本代表になり、トリノ五輪に出場。劇的な試合で日本に旋風を巻き起こした。その後、06年に小笠原と船山は第一線を退くのだが、そろって10年に復帰。フォルティウスの名を冠したチームを再び北海道銀行の支援のもと結成し、競技生活を再開した。

「フォルティウスは私自身にとって大事なチームです。メンバーは替わっていますが思い入れがあります。そのチームがオリンピックの日本代表になる。今回私がナショナルコーチであることを抜きにしても日本のカーリング界のためにオリンピック出場を途切れさせないでくれたことはうれしいですし、フォルティウスを途絶えさせずにいてくれていることに感謝しています」

 このように話すとともに、フォルティウスの現メンバーとも信頼関係を構築している。〈つづきは下の【関連記事】へ〉

#2に続く
「フォルティウスは過酷な練習を」“家賃が払えないバイト時代”も…女子カーリング小笠原歩コーチと「お母さんみたい」小林未奈らの信頼関係とは

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